10月1日:すべて丸投げ 

10月日(月):すべて丸投げ

 今日から10月だ。新しい月を迎えて心機一転とはいかず、重苦しい気分のままである。月末の一週間の疲労と倦怠感が引き続き僕を襲う。いくつかの出来事は今でも重く僕の心に圧し掛かっている。

 意味不明の診断書の件、クライアントの行動化とそれにより関係が切れてしまうこと、並びに、その行動化に対して無力であること、これらはクライアントに裏切られた感を持ってしまうのだが、それ以上に、こういう事態を招いてしまう自分が情けない。月末の多くの作業、予定していた事柄も多くは先送りしてしまっている。おまけに、一向に良くならない足腰の問題もある。つくづく自分に嫌気が差している。

 今月はすべてから解放されてやろう、などと今は考えている。サイトも、ランディングページも、書籍も、すべて棚上げしてやろうと考えている。いずれも考えること多く、なかなか実行に移せないこと多く、他の仕事が入ると妨害されたと感じてしまうことも多く、いっそのこと、こういう煩わしさが無い方がましだという気がしている。今月は、そういうもの一切を手がけないことにしようかと思っている。

 このブログさえ、お休みしようかと考えていたけれど、まあ、たまに書く程度でいいとしている。

 もっと本を読みたい。今月は読みまくることにしようかと思う。我を忘れて本に没頭しようかとも考えている。そうとなれば、早速、実行である。

 しかし、実行しようとしても、読もうと計画しているある本を見て、すでに気が重くなっている。ハードカバーの500ページある専門書であるが、それを見ると、ああ、読む気がしない。今の僕には重たすぎる、と感じられてくる。

 それで、新書や文庫などの小さい本を多数読んでやろうという方向づけをする。一冊一冊は小さいけど、その分、量を読んでやろうということだ。そして、読んだものは書いて残しておこう。書いて残しておくと、後で思い出すことができるからだ。小さいものほど書いて残しておかないと記憶に残らない。

 そして、書いたものはサイトに上げよう。ブログにアップしよう。そう考えている。

 それで、今日選んだのは、ハレスビー『人間の気質と信仰』である。これは一度読んだのだけど、行方知れずになっていた。実家の本を積み上げてあるコーナーからひょっこり出てきたのだ。昨夜、発見した。そうそう、もう一度読もうと思って家に持って帰ったのだった。

 今朝から読み始める。薄い本なので、午前中には読み終える。

 いくつか予定の仕事なり、作業なりをして、昼休みにサルトル「汚れた手」を読み始めるが、一気に読み終えてしまう。これにはもう一作戯曲が収録されているが、それは明日読もう。

 午後の予定、いくつかの雑用をこなし、現在18時。今日はこれからもう一冊読もうかどうしようかで迷っている。何となくハラも減り、体がワインを欲し始めているからである。

 多分、迷っているのは今だけで、きっとワインを選択してしまうだろう。それでもいいや。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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