1月9日:一生に一度?

1月9日(火):一生に一度?

 昨日の成人の日で「振り袖詐欺」があったそうだ。成人式のための振り袖の予約を集めておいて、当日になって業者がトンズラしたらしい。

 この日のために振り袖を予約、購入して、大体、一人当たり30万円から50万円くらいの金額を支払っているようだ。

 この話を聞いて、着付けをやってあげるという人たちも現れた。善意ではあるが、無料でもない。親たちは娘のために追加費用を支払う。それも一生に一度のことだからだと。

 成人の日を成功裏に迎えた人たち(おかしな言い方だが)よりも、彼女たちの方が幸せである。成人の日に詐欺に遭うということ、騙されるということがどういう体験であるかを学んだのだから。それに、被害者を救済しようとする人たちがいることも学べたのだから、ある意味では貴重な体験をしたと僕は思う。

 しかし、不思議なのは「一生に一度だけ」という言い回しである。恐らく、ああいう業者もそういう文句を謳って、子供の思い出のために親の財布を緩めさせようという魂胆だろう。親もまたそれに乗ってしまう。

 人生、一生に一度がすべてなのだ。二度、三度とあるものの方が稀少である。僕たちはみな、一生に一度の瞬間を生きているのだ。2018年の1月9日というこの日を、僕は一生に一度しか経験しない。

 自分の人生をしっかり見つめていれば、「一生に一度だけ」という表現の無意味さがよく分かる。極めて当たり前のことを強調されている上に、それが何か特別なことであるかのように飾り立てているだけにしか聞こえない。

 ちなみに、僕は成人式なんか出席しなかった。バカらしいと信じていた。戦後の若者を勇気づけようという目的で始まった式だと聞いていたが、もはや戦後ではないなどと言って、僕は欠席したのだった。市から来た案内のハガキも破って捨ててやった。今から思うと、結構なアナーキストだったな。

 成人式なんかに出なくても、僕はこうやって生きているし、それを後悔することもない。「俺、成人式、行ってん」と友達が言えば、「そうか、僕は行かなんだ」と答えるだけだ。それでその会話も終わるだけである。みなと一緒でなくても、なんら不自由なことはなかった。

 近年では、荒れる成人式が毎年のように報道されていた。あれを見るたびに、僕は自分が正しかったと確信する。あんなもの出席しなくてもいいのだ。

 ちなみに、成人式で酒を飲んで荒れる若者を見る。誰がどう考えても一生に一度だけのものではない。あんな酔っ払いなんぞいくらでも見てきた。

 まあ、そんなことはともかくとして、「一生に一度だけ」といった謳い文句には要注意である。人生で経験するものは、どんなものであれ、一生に一度だけのものなのだ。昨日と同じことの繰り返しでも、それを今日この日にするという経験はやはり一度きりなのだ。

 一生に一度だけといった謳い文句は矛盾しているのだ。そもそも、人生が一度だけのものなんだから。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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