1月9日(木):いろんなことを考えて
いつものように夜勤明け。なかなかハードだった。
帰宅して寝る。3時間少々寝ることができた。寝不足感がハンパじゃない。午後からの面接がこなせるかどうか心配になった。それでも急いで準備をして職場に向かう。
職場に着いたのは13時を過ぎていた。予約は14時からだ。急いで面接の準備をする。
掃除機をかけている間のことだった。そのクライアントから電話がかかっていた。僕は気づかなかった。14時になって、お見えになられないので「もしや」と思い、ケータイを開いてみたら、案の定、留守番電話が入っていた。子供の病気で今日は来れなくなったと吹き込まれていた。しょうがないか。
急遽、時間が空いたので、勉強をして、原稿を二つ書いて、その流れでこのブログを書いている。
今日、来る予定だったクライアントさんは、前回が初回だった。今日が二回目となるはずだった。この二週間、折に触れてはその人のことを考えていた。
この人の場合、問題が継起的ではないのだな。つまり、問題場面が日常的に発生しているという感じではないのだ。過去のいくつかの時点で問題場面があったということなので、どこから取り組んでいけばいいかで僕も悩んでいた。取っ掛かりがつかめない感じがしていたのだ。
二つくらいのアプローチを想定していた。まずは無難な方で、もう少しこの人のことを知っていこうというものである。こちらを採択したら、今日はこの人の話、それもいろんな話を伺ってみようという方向になる。
もう一つは特定の問題場面取り上げ、それを細部にわたって検証してみようというアプローチである。これは難しい。問題発生場面からすでにけっこうな時間が経過しているからである。それでも、なんとか記憶を辿ってもらって、もう少しその時の彼の心的状態を明確化したいと思っていた。
しかしながら、昨日、ひょっとしたらこの人は来ないかもしれないという不吉な予感が僕を襲ったのも事実である。特に理由というものも見当たらないが(これは半分ウソである。この理由を書くのが憚れるのである)、ふと、そんな予感が過ぎったのだ。結果的にこの予感が実現する形となった。
あまりクライアント個人のことは書くわけにいかないけれど、今回、彼らの幼い子供が病気になり、彼は病院に連れていくことになった。すでに彼らの家族力動に動きが現れているのかもしれない。実際はどうか分からないとは言え、僕としては気にかかるところである。
それはそれとして、今日はすごく寒い。
今朝、1月後半の夜勤のシフトを提出した。今月も夜勤は無休でやる。
すっかり忘れていたけれど、飲み会に誘われていたのだった。もういいや、断ろう。もう、そういう付き合いも面倒くさくなってきた。
飲み会も以前ほど楽しめなくなっている。食べることもしんどい。こういうのは料理がコースのように提供される。5品くらいあるとしよう。最初の2品くらいで僕はもう食べられない。あとは呑むばかりである。メインの料理に手が付けられず終わる。みんなはよう食えるなと思ってしまう。
また、飲み会でいろんな人と交流して、親睦が深まればいいのだけれど、結局、特定の人とだけ会話が弾むというパターンで終わる。それもいつも会話する相手だったりする。新しい出会いをすることも、人間関係が広がるということも、このところ皆無である。飲み会の意義が感じられなくなっている。
誘われた当初は参加しようという気持ちもあった。きっと女性陣も参加するだろうから、多少は女性とも会話して楽しもうなどという気持ちもあった。ああ、でも、振り返ってみると、女性陣は女性陣で男性陣に囲まれることになるだろうから、僕の出る幕はないか。男性の方が参加人数が多いのでそうなってしまうわけだ。
最近、人生最後にもう一度だけ恋愛してみたいという気持ちが強まっている。恋愛の真似事でもいい。もう一度だけ恋愛をしてみたいのである。結婚とか、そういうことは考えていない。交際だけでいい。相手の容貌とかは問わないし、年齢もある程度僕と近いところであればいい。まあ、そう都合のいい相手はなかなか見つからないものであるが、飲み会はそういう機会の一つとなり得たかもしれない。そう思うと、やはり参加した方がいいのかな。いや、やっぱり今回は断ろう。
朝から非常に疲れておるのに、いろんなことだけは考えた一日となった。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)