1月6日:梅田に再会

1月6日(月):梅田にて再会

 

 昨日から今年最初のクライアントが来て、仕事開始となったが、今週はさほどではない。今日も午後からは空きが生じた。

 本当なら職場に留まっていなければならないんだけれど、新年早々仕事も入らないだろうと気を抜いて、夕方から梅田に出ることにした。

 梅田に着くと、古書街を歩く。ムムッ、気になる本がある。買おうかどうしようかでメチャクチャ悩む。結果、今回は見送ることにした。買えないことはないんだけれど、読む時間を確保できるかどうかが確信が持てなかった。

 僕は古書店を出る。買わないと決める。でも、やっぱり買っておこうかと気が変わり、すぐに、ああ、買っても読む時間が取れないしなあと思い直す。歩きながら気持ちが揺れ動く。

 歩いているうちに地下街に入った。無性にタバコが吸いたくなった。喫煙場所がどこにもない。こういう時は呑み屋だ。某立ち飲み屋に入る。

 ビールを注文し、タバコを喫う。生き返った気分だ。呑みながら、しばらく時間を過ごしていると、隣の男性が「寺戸先生じゃないですか」と声をかけてくる。

 僕はビックリした。こんなところに知り合いなんていないはずなのに。見ると、8年ほど前にウチに通っていたクライアントだった。

 久しぶりだなあなどと言いながら、一緒にお喋りしながらお酒を飲む。彼も元気そうで何よりだ。

 あまり彼個人のことには触れないでおこう。当時、「問題児」扱いされていたけれど、芯の強い人だし、へこたれることなく、きっとやり直せると僕はどこかで信じていた。案の定、今は自分の生活をきちんと持っている。新しい家庭も築いている。いいことだ。

 彼と再会したおかげで、今日は楽しいお酒が飲めた。気が付くと、本のことはどこか行ってしまってた。

 

 僕はそれでいいと思っている。カウンセラーとクライアントは一期一会くらいでいいのだ。どこかで再会することはあれど、クライアントが自分の人生を送るようになっていればそれでいい。

 クライアントにとって、人生の一時期においてお世話になった人くらいの位置づけで僕は十分だ。感謝してくれるのはありがたいけれど、いつまでも僕にリビドーを備給し続けて、僕に固着させるわけにもいかない。

 過去に出会ったクライアントたちとも会うことはない。どこかで生きてくれていればそれでいいのだ。また困ったことがあれば僕の所に来てもいいし、他の先生の所へ行ってもいい。バッタリ再会するなら、それも良しである。どの人も自分の人生を送るようになるのだ。それで十分である。

 それで十分なんて言うと、読んでくれている人の中には肩すかしをくったような気持になる人もあるかもしれない。クライアントたちは自分の生を築くことができないか、放棄しているか、他人の生を望んでいるか、大雑把に言えばだけれど、どの人もそういうことをしているんだ。だから、その人が自分の人生を送るようになれば十分だということになる。「病気」が治ったの治らなかっただのということは、少なくとも僕にとっては二の次である。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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