1月5日:懐かしい風景

1月5日(火):懐かしい風景

 

 今日は定休日だ。高槻に行ってもいいし、家にいてもいい。後者を選択する。ただし、家にいる場合は、必ず日頃の運動不足を解消する何かをしようと決めている。今日は午後から歩きに出た。

 午前中は少しばかり家のことをして、少しばかり勉強なんかをして過ごす。その合間に今日はどこを歩こうか、どこに行ってみたいと思うかと自問する。あまり遠くまでは行けない。近場で歩きたい所はどこか。電車に乗っても、四駅程度の範囲内でどこを歩きたいか。

 結局、京都の地元で、且つて通っていた大学の辺りに決める。そこから松尾に向いて歩くというコースを組み立てる。

 当然のことながら、30年前とは大きく変わっている。ずいぶん変わったものだなどと思いながら歩く。

 イカンイカン、梅津段町あたりで催してきた。街中を歩くとトイレに困る。山とか田舎だったらその辺で用を済ませるのだけれど、街中ではそれができない。街中の方が却って不便だったりする。

 幸いなことに、少し先にパチンコ屋が見える。トイレはパチンコ屋に限る。遠慮なく使わせてもらえるからだ。加えて、喫煙場所が備えられていたりする。ここもなかなか立派な喫煙場所が店内に設けられている。ここで少し一休みだ。

 平日の昼間だからだろうか、パチンコを打っている人もまばらである。いずれパチンコも過去の遺物となるだろうな。今、他に面白いゲームとか娯楽がたくさんあるもの。

 再び歩き始める。段町から松尾橋まで歩く。この辺りは友達が住んでいたのでよく来たところだ。あまり変わっていないとも思った。確かに、昔はここに本屋さんがあった、レコード屋さんがあった、などと思い出すところもある。店舗などは変化がある。けれども昔からやってるような店なり工場なりがそのまま残っている。変化はあまり大きくない感じがした。もっとも、コンビニやファストフードのフランチャイズ店なども見かけるので、それなりに時間の流れを感じさせるものがある。

 松尾橋の手前、以前助けてくれたNさんがバイトしていたカフェは、その場所は思いだしたものの、今はイタリアンか何かの店になってしまっている。あまり期待はしていなかったけど、もし、そのカフェが今でもあれば入ってみたいとも思っていた。

 松尾橋を渡る。歩道の幅が広くなっていた。その分、車道が狭くなったのだろうけれど。歩く分にはなかなか快適であった。

 さて、そこから急遽、松尾大社へ参詣しに行こうなどと思い立つ。松尾大社もなかなか立派なつくりである。四条通りは両端が神社という特徴がある。一方が八坂神社で他方が松尾大社ということだ。

 人混みはどうなんだろう。三が日を過ぎたとは言え、やはり例年よりも少ないのかな。ただ、僕が思っていたよりは人がいた。僕はもっと閑散とした情景を思い浮かべていた。

 参拝はあっさりと、観察はじっくりと。家族連れもある。若い子が数人で来ていたりもする。他に行くところがないのだろう。僕も同じだ。することもないので帰途につこうと考える。

 阪急電車に乗ってもいいし、そこからさらに歩いてもいい。ずっと歩いていたので、足が少々やばくなってきた。痛みが感じられる。電車に乗ろうかという誘惑に抗って、もう少し歩くことにした。川沿いの歩行者道路を歩く。足は痛みだしているものの、なかなか気持ちいい。気温も僕にとってはちょうどいいくらいだった。寒すぎず、暑すぎずといったところ。

 途中、コンビニに寄ったけれど、それ以外は延々と歩いて帰宅した。およそ4時間の歩行だった。

 

 今日は歩いてよかったと思っている。懐かしい風景にも出会えた。そこにずっと住んでいる人たちもいるだろう。皆それぞれの生活があるのだろう。悲しくなるのはもう30年前には戻れないということだ。若いうちは何とかなることも多々あるだろうけれど、ここまで来てしまうと、もう取り戻せないものの方が多くなる。取り戻せないものはそのままにして、あとはひたすら前進するしかなくなってくる。人生は儚いものだ。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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