1月5日(土):唯我独断的読書評~『民衆の敵』(イプセン)
イプセンの戯曲は読みだしたら止まらない面白さがある。いつしか作品に引き込まれ、夢中になって読んでしまう。本作も然りで、まずは物語の内容から触れていこう。
舞台はノルウェーのある町。温泉保養地として、これから繁栄が期待されている町である。
医師にして科学者、そして温泉町の提唱者でもあるストックマンは、温泉の水質が衛生的でないことを確認する。原因はその水路にあり、新たに水道管を設置しなければならないと訴える。
新聞並びに世論は、当初、ストックマンの意見に賛意を示す。しかし、その主張に激しく反対する者が現れた。ストックマンの兄にして、この町の町長である。
町長は水質調査に疑問を抱き、もし水道管工事をした場合の費用と工事期間を概算すると、莫大な費用がかかるうえに、完成まで数年かかると彼は報告する。
町長の報告を聞いた世論は、よってたかって町長の味方をするようになる。新聞も町長へ寝返る。
昨日まで町の発展に貢献し、町の名士であったストックマンは、こうして町を危機に陥れ、破滅させようと目論む悪人に仕立て上げられてしまう。
ストックマンは民衆の前で演説を試みるが、民衆の眼差しは厳しく、彼は民衆の敵という烙印を押されてしまう。
翌日は村八分状態に陥るストックマン。妻や子供たちにも迫害の手が迫る。最後にストックマンは発見する。「この世で最も強い人間は、ただ独りで立つ者である」
おおまかなストーリーの流れは以上である。僕の稚拙な文章力ではまったく面白味が伝わらないとは思うけど、第4幕の演説から、民衆の敵と烙印を押されるまでの白熱した問答はぜひとも本編で味わってほしいと願う。
大衆は正義で動くのではなく、利得で動くのだ。ストックマンの主張が正しくても、民衆は経済的負担を負いたくないがために、ただそれだけの理由のために、正義から目を背けるのだ。自分たちの経済的安寧のために、正しい主張に耳を貸さず、それどころか正義を迫害するのだ。目先の安全を脅かすというだけで、民衆は彼を「敵」とみなすのだ。
彼は自分の生まれ育った町の発展を願うだけなのだ。民衆はこの動機を無視する。自分たちに負担を強いるというだけで、彼は「悪」になってしまうのだ。大衆は容易に流され、真理に至ることがない。自由な精神は、大衆から孤立してでも、闘争せざるを得ないのだ。
本作はイプセンが当時置かれていた状況を抜きにしては完成しなかっただろう。ストックマンの主張はそのままイプセンの主張である。
『人形の家』は賛否両論を引き越したが、続く『幽霊』では否定派を多く生み出してしまった。人々はイプセンに酷評を浴びせる。そんな矢先に本作が発表されたのだ。
その二作、『人形の家』と『幽霊』とは、姉妹作のようなもので、前者が虚偽の幸福に基づいた生活から抜け出すヒロインを描いたのに対して、後者は人形の家から出ることのできなかった人たちの不幸を描いている。当時の人々からすれば、『幽霊』の登場人物たちに自分たちの姿を見てしまうかもしれない。たとえそれが正しくても、自分を見せつけられてしまうことに対して、人は反感を覚えざるを得ない。そうした人々の反感に対して、イプセンは宣戦布告しているかのようである。それが本作であると、僕はそう位置づけている。
さて、本作の唯我独断的読書評価は断然5つ星である。
<テキスト>
『イプセン選集第二巻 民衆の敵』 ヘンリク・イプセン著 山室静訳 創元社
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)