1月4日(火):醜悪なるかな
世間では今日が仕事始めという所も多いだろう。今年はお正月が土日と重なったために休みが短かったという人も多いのではないかと思う。僕も今日からといきたいのだけれど、定休日の火曜日と重なったので、明日から仕事始めとなる。
とは言え、今日も高槻に出て、細々した作業をして過ごしたのであるが。結局、毎日職場に出ていることになる。
さて、今年は新聞を買って読もうと決めている。出勤時に駅かコンビニで買うのだ。一旦職場に入ると外の情報が一切入ってこないという環境なので、せめて新聞くらいは買って、世の中の動きを知っておこうと思うわけだ。
新聞はどれでもいいのだけれど、昔読んでいた習慣で読売を買ってしまう。アベ寄りの新聞であることは知っている。僕が読むのはそれ以外の部分だからそれは目をつぶろう。
そのアベのインタビューが読売に連載されていた。相変わらずひどいもんだ。コロナを普通のインフルエンザと同じ「第5類」に分類するという手もある、とこう言うわけだ。あくまでもそういう手があるということを言っているのであって、こうした方がいいとは言っていないところがミソだ。
コロナが普通のインフルエンザと同じになると、ワクチン接種やその他、入院や治療も、通常診療と同じ国民の3割負担となるということである。要するに、コロナのことで金を出したくないということなんだろう。
その場合、もはや国に金がないという状況であるか、それとも他の所に金を回したいかのどちらかではないだろうか。前者もあり得ないことではないが、後者の方が濃厚に感じられてしまうのは僕だけだろうか。
イギリスでは三回目ワクチン接種は国を挙げての大事業だといったことを首相は言っている。イスラエルでは4回目接種が順調だという。どこもコロナは国をあげて対策しているのであるが、日本だけは逆を行っているようだ。アベがいかに世界から外れているかが伺われるエピソードだ。世界のコモンセンスが欠けているように思えてならないのである。
アベもそうであるが、スガもそうだ。まだコロナ禍が始まったばかりだと言うのに「人類がコロナに打ち克った証」としてオリンピックをやろうとしていたのだ。これはどういうことかと言うと、危機や苦難の状況に留まることができない人たちであることを意味するように思う。
危機や苦難の状況を僕たちは経験する。その状況に留まりながら、その状況を打破していくものである。彼らはそうした状況に留まることができないようだ。もし、集団がそういう状況に置かれているとして、その状況に留まることのできない人間がいると、その他の集団成員にそのしわ寄せが来ることになる。一人が逃げ出すと、他の人の負担がそれだけ増えるのである。「逃げるが勝ち」は、時と場合によっては有益ともなり、且つ、卑劣にもなるのである。アベやスガの言っていることを聞いていると、コロナ禍から逃げたくてしょうがないんじゃないかという気がしてくるのである。
キシダはましかと言うと、そうでもない。マシに見えるだけである。3回目接種は、その他の諸外国と比べて、はるかに遅れを取っている。他のことならともかく、遅れを取ってはならないことで遅れを取ってしまうのはなおさら悪いのである。
本当に醜悪である。
オミクロン株についてはまだ未知の部分もある。デルタ株と比べてどうなのかということも不明な部分がまだまだある。警戒していないといけないし、警戒しすぎてもいいくらいである。もう少し正体がはっきりするまではとことん警戒しておいた方が無難である。
なんでもオミクロンはデルタと比べて重症化率は低いそうだけれど、感染率は高いということらしい。仮に重症化率が3分の1であったとしても、感染率が3倍ということであれば、デルタと同じだけの重症者が生まれるということになる。全体の感染者数が増えるのであれば、重症化した人への治療がままならないという事態に陥るかもしれない。
まだまだこんな状況なのに、インフルエンザと同じ「第5類」にする手があるなんて、よう言えたもんだ。それを言うのは、少なくとも1年は早い。もう2,3年後に議論していい話ではないか。一人だけ苦難から抜け出しているようだ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)