1月30日:とりとめなく書く

1月30日(月)とりとめなく書く

 

 先週の徹夜が堪えて、少々疲労感がある。今朝は、恥ずかしいことに、朝寝坊して、遅刻してしまった。午前中は空けておいたものの、予約が入っていればクライアントに迷惑をかけるところであった。

 明日は定休日なので、今日中に月末の雑用を済ませておきたいと思って、午前中を空けておいたのだが、運が良かった。それで午前中にいくつかの雑用と外回りをして、午後から仕事にかかる。今、夕方の4時。一段落ついたところで、これを書いている。隣の作業もほとんど終わりが見えている。これもいい兆しである。

 最近は、仕事は滅茶苦茶忙しいというわけではないが、いろいろしなければならないこともあって、時間に追われている感じがある。今日ももっと早くから動き始める予定であったのが、寝坊して出遅れたために、いささかバタバタしている。まあ、焦っても仕方がないのである。一つ一つ確実に片づけていけば、いつかは必ず終わりが来るものである。

 僕はあんまり物事をテキパキこなす方ではないと自分では思っている。人にはそれぞれ速度みたいなものがあって、こういうのは変えようがないということも、何かで読んだことがある。

 僕はあまり早くないようだ。モデラートくらいだと思っている。できればアレグレットくらいの速度でできればいいなとは思うのだけど、なかなかそうもいかない。速くすると、却ってミスしたり、やり損じたことが生じたりするようだ。

 あるクライアントは非常におっとりとした方で、それはそれでその人の魅力でもあるのだけれど、目の回るほど忙しい職場で、かなり苦労されているようである。限りなくテキパキこなせば時間内に終了するのだろうけれど、その人のペースでやっていく他にないのだから、その人はいつも残業されているようである。

 しかし、世の中は便利になっていくというのに、個々の一人一人の生活を見ていくと、本当にゆとりがあって、幸福を体験しているというような人がなんと見当たらないことかと、僕は思う。バタバタしなくてもいいように便利なものが発明されていっているはずなのに、ますます人は慌ただしくなっていって、落ち着きを失っていっているようだ。あれでは毎日、愉しくないでしょう。不安や焦燥感ばかりの日々じゃなかろうかと思う。自分を知るというような機会にも恵まれないことであろう。

 僕は今、自由連想法をしている。相手がいないので、原稿用紙に書き綴るというやり方をしている。一時間単位でやっていって、週に三回程度で続けている。一日目に書き、二日目はそれを読んで考察するということをしている。これは以前にもよくやっていたことで、最近、もう一度始めたいと思ったのだ。一時間で、大体、原稿用紙10枚程度書ける。その中で、毎回一つくらいは自分についての新たな発見がある。

 そもそも、このブログにしても、半分自由連想みたいなものである。予め書くことを決めている時もあれば、行き当たりばったりで書いてみることもある。今日などは後者の方である。ワードを開いて、日付を書き、それから思いつくまま書いているのである。どこに辿り着くかなんて分からない。適当な分量に達すると、そこで一旦終了し、内容を見てタイトルを付す。そして公開しているのだ。取り留めもないことを書いて、読む方もついてこれないのではないかと思うこともある。まあ、このブログに関してはそれでも構わない。もともと、読んでもらえないだろうという前提で書き始めたものだから。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

 

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