1月23日:女性友達に捧げる(21)

1月23日(月)女性友達に捧げる21

 

 今日は女性友達のことを思い出して、内面が騒がしくなったので、何か書いておこうと思う。前回はセックスのことまで書いた。別にそんなこと隠す必要はない。それに、彼女は僕の書いたものは決して読まない。僕はそれに百パーセントの自信がある。

 彼女は活字を読むとすぐに眠たくなるという人だった。だから本も読まない人だった。いつか彼女に本を読むことの楽しさを体験させてあげることが、僕の夢の一つだった。僕も小学生の時に、本を読むことの楽しさを教えてもらったのだ。同じように、彼女にも教えたかった。

 本を読まないので、彼女はあまり思考が洗練されていない。物事をとても単純に考える人だ。深く考えるということをしない人だった。

 彼女はかつてDVの「被害者」だった。彼女と関係のあった男たちというのは、なぜかそういう暴力的な人が多かったようだ。彼女はそれは男たちが人格障害だったからと考えている。

 しかし、その男たちが人格障害であるというのは、ある人から吹き込まれた思考である。彼女にそれを吹き込んだ人は、精神科医でも心理学者でもなかったようだ。感覚的に診断名を当てはめただけのようだ。それで彼女はそれを信じている。人格障害のことを僕にいろいろ尋ねてくるのはそのせいである。しかしながら、彼女に人格障害について講義することほど、僕にとって無意味でバカらしいことはなかった。

 男が彼女に暴力を振るうのは、その男が人格障害であるからだと、彼女は単純に信じているが、彼女自身が男たちの境界性人格構造の何かを引き出した可能性については何一つ考えていないのである。

 僕はその男たちと見識はない。だから彼らが本当に人格障害であるかどうかは断言できない。その可能性はあるかもしれないという程度である。

 仮に、実際に人格障害と診断されるような人であったとしても、彼女がいなければ彼の人格障害は現れてこないはずである。というのは、彼女との関係において彼らの境界パーソナリティ構造が顕在化しているからである。

 従って、彼女が彼らの何かを引き出している可能性というのは十分ある。でも、彼女はあくまでも彼らとの関係において、部外者の立場を固持しているのである。

 僕は今ではもう少し正確に予測ができている。男たちが彼女に暴力を振るったのは、彼らが彼女から何かを守らなければならなかったからである。意図せずして彼女が彼らを掻き乱してしまい、暴力は彼らにとって最後の防御だったのかもしれない。

 僕自身、彼女との関係において、これだけは許せないと思うことがいくつかあった。当時は、軽く受け流し、少しずつ彼女に分かって貰おうと考えていた。彼女は無神経に何も考えずにそういう言葉を発したのだろうと僕は捉えていた。

 それがなぜ言ってはいけないことであるか、いきなり彼女に説明しても、彼女には理解できないだろうと思っていた。なぜなら、彼女自身がなぜそういうことを言ったのかについて無自覚すぎるからである。そういうことを反省するだけの成熟を彼女は示していなかった。僕にはそう映っていた。だから時間をかけて少しずつ彼女に分かってもらわなければならないと考えていたのである。しかし、これは果たせずじまいで、不快感だけが僕の中に残ることになったのである。

 今日、僕はその言葉を思い出したのだ。それで内面が騒がしくなってしまったのである。その言葉、というか発言内容というのは、はっきり言えば「価値下げ」なのである。恐らく、彼女が無意識的に男たちを「価値下げ」し、彼らがその「価値下げ」に反応していた可能性がある。彼女から「価値下げ」されることに対して、彼らは抵抗していたのかもしれない(その可能性は十分にあると僕は今では捉えている)。

 では、なぜ彼女は「価値下げ」してしまうのだろうか。僕は彼女は本当の意味で他人を尊敬したり尊重したりできない人だと捉えている。そして、彼女の中に、それも深い所に、彼女は激しい憎悪を抱えているのが僕には分かるのである。その憎悪が時々、そういう形で顔を出すのだ。そう、僕には彼女がとても「恐ろしい」と思う瞬間が度々あったのだ。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

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