1月23日(月):今日を記録すること
今日はこの後バイトを控えている。只今20時45分。徹夜仕事なので、帰宅して少し仮眠してもよいのだけれど、ブログだけでも書いてから帰ろう。最近、怠りがちだ。
HPの方が上手くいかない。業者ともめている。サイト作成は投稿画面から行う方法と固定画面から行う方法とがある。前者をブログに、後者をその他の原稿に充てている。
調子が良くないのは投稿画面の方だ。これも一時期は問題がなかったのに、いつごろからか問題が発生している。おそらく年明け以後のことだとは思うが。僕の方では原因はわからない。
それよりも、いつまでもそんなアクシデントで振り回されるのにウンザリしている。一回できちんとプログラムというのかシステムというのか、そういうものを作ってしまえばあとは問題はないだろうと思うのだ。12月初頭にその問題点を指摘したのに、公開上は問題ないからということで、細部を放置してしまったツケが回っているのだ。あの時、最後までやってくれていたらよかったのにと思う。
それで、今日、ブログの方は後回しにして、問題のない固定画面での作業を行うことにした。そうしたらなんということだ。画面が変わっているではないか。あの部分は何というのか、文字のフォントや大きさを変える枠だ。あそこが修正されちるので、INDEXの文字の倍率が変えられない。おまけにアンダーラインも引けない。あの業者め、何をやってるねんといいたいくらいだ。
あっちを修正したらこっちに不具合がみつかり、そんなシーソーみたいなことに付き合い切れない。とりあえず、今日公開する予定の11ページは公開した。昨日のうちに原稿を揃えておいたので、やってしまわないと。後に引き伸ばしたらまた負担になる。今日やると決めたことはやっておかないといけない。後々響いてくる。
ともかく、HPのことでここ最近はイライラしている。
加えて、今日は足が痛い。このあとのバイトのことも心配になる。できるだけ勤務時間に合わせて鎮痛剤を服用しようと思う。その時間に効いているようにしなければならない。身体の心配も欠かせない。これは若いころには無かった気苦労だ。
その他、今日は午前中は少しだけ家のことをこなした。
一応、予定されていた作業はすべてこなしたことになるだろうか。
本は雑多に読んでいる。一冊ずつ読むようにはしたいのであるが、なかなかそういう読み方もできない。優先的に読まなければならない文献なんかもあるからだ。
今はHPに力を入れたい。これで仕事が増えるなら、それはそれでいいのであるが、もはや集客といったことは二の次である。自分自身を残しておきたいのだ。僕自身を書き残せる場としてサイトを求めている。
書くというのは、一瞬を永遠化することである。サルトルかボーヴォワールが言っていたな。その通りだ。過去はだんだん遠のいていく。遠のいて、薄れていく。あたかも蜃気楼のようだ。書き残すことは、経験に実在性を与える。読み直せば再び僕自身のものになる。今日のことを今日書いて残しておかなければ、今日という日が僕から失われていくのだ。
そんなことを考えているとAC者はどうなるのだろう、などと思いついた。若い時分に過去探求ばかりやって現在を疎かにして、年を取った時には20代、30代の記憶がまるで無いなんてことになるんじゃないだろうか。過去はいずれ遠のいていくのであれば、現在を過去で消費しては今現在において残るものがなくなっていく。最後に残るのは空虚な人生だったということになるのではないだろうか。
僕はそんな一生は御免だ。僕はただ今日を記録する。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)