1月21日(金):キネマ館~『ネバダ・スミス』
今年に入ってからよく映画を観る。いや、それは正確ではないな。映画はずっと観ているのだけれど、以前のように本腰入れて観るようになったと言った方が正しいな。そしていい映画にも巡り合うのだ。いや、今のも正しくなかった。以前のように映画を観ていいなあと思えるようになったと言った方が正しい。
今回取り上げるのはスティーブ・マックイーンの『ネバダ・スミス』だ。これは3人のならず者に両親を殺された主人公が復讐を果たすまでを描いている映画だ。題材としてはありがちなんだけれど、何て言うのか、神話の要素を僕は感じ取った。そう、西部劇でありながら神話的なのだ。そこに魅力を感じている。
主人公マックス(スティーブ・マックイーン)は両親を殺され、復讐を誓い旅立つ。
しかし、最初は上手くいかない。憎い相手と思ったら人違いであり、尚且つ、馬や旅道具までごっそり盗まれてしまうという災難に遭う。大平原の中で独り彷徨うマックス。復讐どころか生きていくことさえ困難である。
そんなある日、行商人のコート(ブライアン・キース)と出会う。コートはマックスに銃を教え、復讐のためだけでなく、生きるための知恵を授けていく。
ところで、人生にはこういう人が必要である。親とは別に、生きることを教える先輩の存在が必要なのである。現代の若い人(僕世代もそうだったかもしれないけれど)は、なかなかこういう人に巡り合えないのである。人生の先輩で生きる知恵を教えてくれるような人と出会えないのである。そして、すべてが親に還元されてしまうのだけれど、これは不幸なことだと僕は感じている。
物語に戻ろう。コートから十分に学んだマックスは独り立ちしていく。カウボーイとして生計を立てながら憎い敵を探し続ける。先住民の女(言い忘れていた、マックスは先住民の血を引いているのだ)からそれらしき男がいることを知らされる。マックスはさっそく調べ、それが三人のうちの一人であることを確信する。
このナイフ使いジェシ(マーティン・ランドー)との戦いは、マックイーンが暴れまくる感じでカッコいい。ここで傷を負ったマックスは、先述の先住民の女に介抱される。傷が癒えると、マックスは女を置き、再び復讐の旅に出る。
ジェシの仲間を探るためにジェシの住居に不法侵入するマックス。ジェシの妻からビルのことを知る。女はマックスを誘惑するが、マックスは女に目もくれない。
次の標的はビルである。ビルは刑務所に入っていることを知るマックス。彼は銀行を襲い、刑務所入りする。刑務所の中で、彼はビルと接触することに成功する。マックスはビルに刑務所からの脱獄を持ちかける。現地の女の協力を仰げば成功すると請け負う。
マックスを慕う女は彼に協力して船を調達するが、毒蛇に噛まれてしまう。川を下って逃亡する三人。途中、ビルはマックスの正体に気づき、争いとなる。命乞いするビルをマックスは撃ち殺す。女の方はそこで息を引き取るが、復讐のために利用されただけなのを知り、マックスを罵る。
残る一人はトム(カール・マルデン)である。マックスはトムを探す。トムの方ではマックスの噂を聞いており、今に復讐に現れると慄いている。子分にマックスを襲わせるが、通りかかった神父に救われる。
神父はマックスを介抱する。復讐を捨てることは勇気がいることだとマックスに教えるが、マックスの意志は固く、彼は再び復讐の旅に出る。
マックスは名前をネバダ・スミスと偽り、トムの手下になる。彼らは馬車隊を襲うが、トムはマックスが自分を殺すつもりなのを知り、逃げる。追うマックス。最後の対決が展開されることになる。
さて、復習に憑りつかれたようなマックスである。彼が復讐の虜となるのは愛に背を向けるからである。少なくとも彼に愛を教えようとした人間が3人はいる。先住民の女、脱獄を幇助した女、そして神父である。ジェシの妻を加えれば4人になるか。そのことごとくにマックスは目を背けるのである。
両親は彼を生み、彼を育てた。コートはマックスが一人前の男になるために必要な存在であった。そして、男がより完成されていくためには女や愛が必要であった。最後の最後で彼はそれを理解したのだと僕は思う。だからこそ復讐はもはや彼にとってなんの価値もなくなっていたのだと僕は思う(思いたい)。
実にいい映画だった。マックイーンもいいが、悪役や脇役も味がある。ブライアン・キースもいい味わいがある。
悪役の中ではマーティン・ランドーが一番きまっている。
温厚そうなお顔のカール・マルデンが悪役をやっているのが僕には意外な感じだ。主人公の補佐役みたいな役どころが良く似合うと思う。でも、いい。
僕の唯我独断的評価は5つ星だ。いい映画を観たという感覚が残っている。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)