1月20日(木):キネマ館~『狼よさらば』
僕の好きな映画作品の一つだ。最初に見たのは子供の時で、テレビの洋画劇場で見たのだった。強烈なインパクトを僕に残したのを覚えている。
主人公のポール・カージーはニューヨークで成功した開発技師である。妻と娘にも恵まれており、夫婦でハワイにバカンスにいくゆとりもある。ポールの平穏な生活は一日にして崩壊してしまう。彼の留守中、3人組のチンピラが押し入って、妻に暴力を振るい、娘を犯したのだ。その後、妻は死んでしまい、娘は精神的ショックから立ち直れないでいる。
悲嘆に暮れるポール。彼は仕事に打ち込むことで忘れようとする。ある時、仕事の依頼主がポールに射撃を教え、拳銃をプレゼントする。やがて彼は夜な夜な出歩き、チンピラ強盗に出くわしては射殺していくようになる。
強盗やひったくり事件が多発するニューヨークで、ポールこと私設警察は評判になり、社会現象とまでなる。人々は私設警察にならって自衛するようになる。警察はポールを野放しにしたくないのであるが、ポールのおかげで犯罪が減少するという事態に板挟みになる。警察はそれとなくポールに警告するが、それでも彼は警察の見張りの裏をかいて夜の街に繰り出していく。
ポールを演じるのはチャールズ・ブロンソンだ。実にいい。
最初は夜の街路で若者がマッチを擦るだけで過剰に反応していたくらいである。次に、防衛のためとは言え、若者を殴ってしまい、深い罪悪感に襲われる。初めて拳銃を使用した時には一線を越えてしまった男を演じる。しかし、やがて彼は無感情に若いチンピラを撃っていくようになる。だんだんとブロンソンの役柄に一致してくる感じもするのだけれど、そうして徐々に野性化していくブロンソンの姿が実にいいのだ。
このチャールズ・ブロンソンという俳優さんは、ある意味では60年代から70年代を象徴する人だ。現代だったら、せいぜい個性派俳優くらいの位置づけで、スターにはなれなかっただろうと思う。決して美男子とは言えないが、独特の風貌と強烈なダンディズムが魅力だ。こういう個性的な人がスターになれるというのは、60年代や70年代はやはりいい時代だなと僕は感じる。
本作は1974年公開作品である。その後、続編が作られていく。2作目は『ロサンゼルス』だ。本作ではハービー・ハンコックが音楽を担当しているが、続編ではジミー・ペイジだ。その後も続編が作られて、僕が見た限りでは4作目まである。日本語タイトルはそれぞれ個別作品のように見えるが、オリジナルはDeath Wishシリーズとして一連の作品であることが分かるようになっている。
言うまでもなく、この第一作目が一番いい。後になるほどブロンソンが年を取っちまって情けなくなってくる。なんだか老人が若者を撃ち殺すだけの映画に見えてしまう。ブロンソンの年齢的にも本作がちょうどいい感じである。
原作はブライアン・ガーフィールド。原作も読んでみたい気持ちがある。日本語訳があれば買って、読んでみたい。
本作から僕が強く感じるのは、守ってもらう立場から自ら戦う立場へ、そこへ踏み出せというメッセージである。もちろんもっと違ったメッセージを読み取ることも可能である。僕がもっとも感銘を受けているのがその部分であるということなのだ。私設警察としてのポールの働きは人々の意識を変え、行動を変えていくのである。マスコミが彼を報道し、その報道が人々に感化し、人々は彼を取り入れ、彼を模倣し、彼を理想化する。誰かがそれをすることで、人々が変わるのである。そのように人々の意識や行動を変える人物は英雄となるが、あまり尊敬できる英雄でもないというところに本作の魅力というか、ブロンソン演じるポールの魅力を僕は感じている。
また、ポールが戦う人間になってから、表情に余裕が生まれている感じがする。そこをブロンソンが巧みに演じてはるように思えてくるのだ。彼はこの戦いを楽しんでいるようでもある。彼はそれをせざるを得ない。彼にとって、それは正しい方法ではないかもしれないが、それをすることが不幸を乗り越える手段になっているのかもしれない。彼が戦いを止めた時、彼はようやくその不幸を乗り越えたのだと僕は感じている。
さて、僕がこの作品を初めて観たのは、正確な年齢は覚えていないのだけれど、子供の頃だった。ニューヨークってなんて怖い場所なんだと思ったのを覚えている。それだけにブロンソンが悪い奴を撃ちまくるのは爽快でもあった。今見ても、その面白さは変わらないように感じている。
僕の唯我独断的評価は断然5つ星だ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)