1月19日(月):葛藤する自我
今日は面接半分、雑用半分の一日だった。
パソコンの処理作業をいくつかこなす。
電話が4件ほどあった。一つは業者で、あとはクライアントだが、その内の一人は新規だ。新しい人が来てくれるのは嬉しいと思う。
それにしても僕の電話対応の稚拙さには自分でも腹立たしい。もう一度、きちんと電話応対をできるようにしないといけない、そう感じている。
空き時間に室内の整頓をする。少しずつやっているためもあって、なかなかはかどらない。一日かけて一気にやってしまう方がいいのかもしれないが、今週は休みがない。
ずっと気になっていて、今日、ようやくその時のメモを発見した。土曜日に新規の方が来られるのだけれど、その人はどうも以前無断キャンセルされた方じゃないかという気がしてならなかった。それをはっきりさせるメモがあったのを思い出して、探していたのだ。
まだ十分な確証とは言えないけれど、同じ人である可能性が高い。そうなると、今回も当てにならないかもしれない。
本はあまり読む時間が今のところ取れていない。モームの「マウントドレイゴ卿」を読む。少し思い出したことがあったからだ。
一人で仕事をしていると本当にたいへんだと思うことが多々ある。誰かに頼ることも任せることもできない。甘えが一切許されない状況だ。
そのためにどんな小さな雑用でも自分でしなければならない。そうするといろんな作業や雑用で頭がいっぱいになってしまう。細かなことを忘れてしまうのも、自分で言うのもおかしな話だが、仕方がないかもしれない。
ただ、確かに記憶力が以前よりも衰えている感じはしている。このままいくと認知症になるんじゃないかといささか心配である。
今週はそれほど忙しくならないかと思っていたが、徐々に仕事が入ってきている。今年はスタートが遅かったけれど、勢いが戻りつつある。喜ばしいことだ。少しずつでもいいから、毎日仕事を入れたい。
今、クライアントを待っているところだ。時間通りに来られるか、それとも遅刻するか。今頃その人は葛藤しているかもしれない。すがりつきたい気持ちと僕を恐れる気持ちと、その両方がその人にあるように思うからだ。その時々で、そのどちらの気持ちが勝つかによって、僕やカウンセリングに対するその人の態度や姿勢も違ってくるようだ。
こうした葛藤はどのクライアントも経験されていると思う。ただ、自我がしっかりしているほど、こうした葛藤に耐えることもでき、望ましいと思われる方を決断することもできるのだ。
だから、無断キャンセルする人は病理が深いというよりも、こうした葛藤に耐えられず、好ましくない方の決断をしてしまうことが多いと思うのだ。言い換えれば、困難の伴う方を回避する決断をしてしまうものだ。
同様に、きちんと来られる方というのは、問題を抱えているとか意識しているとかいうこと以上に、自我がよりしっかりしているのである。約束を守るということも、案外、自我にとっては負担となることなのだ。その人の自我はそれに耐えることができるのだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
このブログもなぜか途中で終わっていたものだ。ひょっとするとこの続きを何か書こうとしていたかもしれない。当時は何かと急な用事や予定が入っていたためかもしれない。
(平成29年2月)