1月17日:女性友達に捧げる(19)

1月17日(火)女性友達に捧げる19

 

 1月6日(金)の晩辺りから具合が悪くなり、7日(土)は高熱を発して仕事を休んでしまった。8日(日)はかろうじて出勤し、予定の仕事をこなすも、夜はアルバイトの予定が入っていた。夜間バイトのために9日(月)は休室日にしていたが、その晩もバイトが入っていた。10日(火)は定休日であるが、京阪神を回る予定をしていたものの、それらはすべてキャンセルした。11日(水)の朝に、ようやく熱が下がり始める。

 しんどくて、フラフラし、断続的に頭痛に襲われ、食欲もなく、どうしてもこなさなければならない予定以外はすべて取り消し、できるだけ布団の中で過ごす。不思議なことに、この間、女性友達のことは思い出すことがなかった。別れるとはそういうことである。

 別れとは、お互いに無縁の存在となることである。僕はそう捉えている。僕が死んでも、彼女には連絡が届かない。彼女が死んでも同じである。

 彼女が死んでも、僕には連絡が来ない(来るはずがない)し、僕はそれで泣くこともない。だから、僕が死んでも彼女は泣く必要もなく、線香も上げなくて構わないのだ。僕が病気で苦しんでいても、彼女の与り知らぬところであり、その逆もまた然りである。

 つまり、別れるということは、今後お互いがどうなろうと、お互いに関与し合わないということである。彼女は彼女の人生を生きるだろうし、僕の方でもそれは同じだ。そこに接点など生じることはないのだ。

 彼女はその持前の能天気なほどの無邪気さの故に、人と人とが別れることの重みなど感じることはないだろう。お互いに無関係の他者になり合うのだ。

 僕の考え方は冷酷に聞こえるかもしれないが、でも、この関係を最初に望んだのは彼女の方である。昨年の5月頃のことだ。彼女の中で先に僕が無関係の他者に成り下がったのだ。そのことで僕がどれだけ苦しんだか、彼女に理解できるはずがない。仮に、彼女が理解できると言ったとすれば、それは嘘である。そこまで共感性に富む人ではないからである。

 僕との関係は、少なくともその当時においては、現実であった。前の男との関係は、同じころ、既に幻影と化していた。彼女は現実の関係と決別し、幻影の関係に戻り始めたのだ。その頃から、僕たちの関係は終わりを告げていたのだ。ただ、僕が終わらせることに抵抗していただけのことだ。それ以降の関係というのは、ただ表面的に相手が居るというだけの、その程度のものでしかなかったのだ。

 彼女は今後とも今のままで生きるだろう。ごく稀にだけど、そういう人がいるものである。危機が訪れるとすれば、次の3点であろう。一つは母親死を経験することである。彼女は母親との結びつきがあまりに強いのである。二つ目は前の男たちと接点を持ってしまうことである。暴力的な関係は変わらないだろうと僕は捉えている。前の男に殺されるようなこともあり得るかもしれないが、それもまた彼女が望んでいることなのであろう。三つ目は彼女の周囲の人たちから変わらず彼らのマスコットとして生きていくことである。そこで彼女は精神的には子供のままで生きていくことだろうが、彼らが居なくなった時が危ないだろう。その三つの危機において、共通することは、彼女が内面深くで抱えている憎悪が噴出することである。この憎悪は「精神病的な症状」を引き起こすほどの精神的解体を彼女にもたらすかもしれない

 昨年の初秋頃、彼女に僕のカウンセリングを勧めたことがある。お金は要らないから週に1,2回のペースで受けないかと持ちかけたのである。放っておくわけにはいかなかったからだ。僕は既に彼女のことを女性としてではなく、一人のクライアントとして見ていたのだ。このカウンセリングは、僕の利益にはならないものである。ただ、彼女に対しての最後の善意つもりだった。でも、彼女はそれさえも踏みにじるのである。彼女はそういうことができる人なのである。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

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