1月13日(火):何のための一日か
日曜、月曜と私用で外出して、昨夜はアルバイトに行って徹夜したので、今日はほとんど家で過ごした。クタクタだった。よく寝た。
昨日は朝から夕方まで出かけていて、夕方から晩まで梅田あたりを歩いた。古本屋で角田喜久雄の本を見つけて、即購入してしまった。5冊も買ってしまった。
その後、夜、アルバイトに行く。待ち時間が多く、別の意味でしんどい仕事だった。
朝の5時半頃解散となる。四条河原町のあたりで「最高ですか」と声をかけてくるおばさんにつかまる。「仕事に行くところなので」と嘘をついてやり過ごす。なんかの宗教団体だろうか。早朝から「最高ですか」と声をかけられて、「最高です」と答える人がどれほどいるだろうか。
その後、空腹感に襲われていたので、何か食べに行く。「すき屋」と「吉野家」があるのだけど、「すき屋」はガラガラだったし、四条木屋町の店はなくなっているのか、開いていなかった。結局、吉野家に入る。
満腹になると、妙に元気が出て、そのまま四条通りを大宮まで歩いた。大宮の「すき屋」も営業していなかった。働く人がいないのだろう。ああいう報道をされてしまうとそれも仕方がないことだけど、24時間営業できなくなっているのは、改善が進んでいないということなのだろう。
それから帰宅して、7時頃に寝る。昼頃に起きて、そのままネットを見てしまう。
動画なんかを見てしまうと、本当にそれだけで一日が潰れてしまう。最初は暇つぶし程度の感覚で見るのだけれど、その内、ネットサーフィンするようになって、あちこちの動画を見てしまう。何となくだけれど、もっと面白いのが発見できそうだという変な期待感が高まってしまうようだ。
それで見ていくと、いつしか夜になっていた。一体、今日はなんのための一日だったのだろうか。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
ネットとかを見てしまうと、ついつい長時間になるという人も少なくないと思う。あれは個人から莫大な時間を奪うものだと思う。莫大な時間が奪われるということは、貴重な財産を奪われるに等しい。ネットは罪だ。でも、僕のサイトを見るのは罪ではないと、そういうことにしておこう。
(平成29年2月)