1月11日(水):回復源
今朝、熱がようやく下がり始めた。下がったと言っても、37度ぎりぎりくらいの所であるが。それでも身体の感じとしては、昨日よりもはるかにラクになった感じがある。本当なら、ここでもう一日休んだ方が確実なのだけど、そういうわけにもいかない。今日はクライアントの予定が入っている。
それでも不思議なもので、多少のしんどさは体感されているにも関わらず、クライアントの予約が入っていると嬉しいと感じているのである。
去年のいつごろからか、僕はクライアントと会うのに気負わなくなっているのに気付いた。クライアントと会っていて、以前ほどしんどくないのである。もちろんクライアントの話はそれぞれに重みがあり、たいへんさがあるのだけれど、気持ちの上では楽に会うことができているように感じているのだ。
「寺戸さんはきっと人が好きなんだと思います」と、ある女性クライアントが言ってくれたことがある。それは一昨年のことだった。確かに人が好きでなければできない仕事ではあるけれど、当時、彼女がそんな風に言ってくれたことは僕には信じられなかった。と言うのは、僕のそういう傾向はきっと表に現れていなかっただろうと思うからだ。多忙でカリカリしていた時期でもあったからだ。でも、今の僕を見れば、この傾向はもっと素直に表に現れているかもしれない。現在、来てくれている人にこれが伝わればいいと願っている。
人を好きになるほど、恨みや憎悪は減少してくるものである。僕を恨んでいる人や嫌っている人も少なからず存在することは僕自身よく分かっている。僕が誰からも間違いなく好かれるというようなタイプの人間ではないということも、僕は分かっている。生きていれば人の恨みを買うこともあるだろうし、嫌われるということも避けられないことだろうと思う。いいのである。私を恨む人は恨んで良いのである。嫌う人は嫌っていいのである。そこに彼らの自由があり、抵抗があるからである。憎悪や嫌悪は、それらをもたらしたと見做される人とは、本当は関係がないということが洞察できれば彼らも救われるのだろうが、恐らく、そうはならないだろう。それでも構わない。彼らの生き方なのであるから。肝心な点は、僕が彼らを恨まなければいいだけである。
今日、さっきまでクライアントと会っていた。私を信頼して来てくれているクライアントだ。信頼して通っておられるクライアントもまた僕のことを大事に思ってくれる。僕もまた、その人たちを大切に思う。この関係が大事なのだ。話し合いの内容以上に、僕の技術が稚拙だとか言う以上に、これが大事なのだ。なぜなら、このような人間関係において「精神病」が生じるはずがないからである。
このように考えると、今回の発熱の回復源はクライアントにあったのかもしれない。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)