1月10日(火):断酒1年
多少、熱は下がったものの、まだ37.5度を超えている。なかなか熱が下がらない。
ちなみに、今日で断酒一年である。酒を止めてから、ちょうど丸一年経過したということである。記念すべき日であるが、この記念すべき日に、僕は布団の中で一日過ごしている。
当初の予定では、今日は京阪神を回る予定だった。それぞれに用事があったからである。でも、午前中、近所の薬局に行って帰ってくるだけで、もうヘトヘトになり、これは無理だと思った。それで、予定はすべてキャンセルすることにした。
しかし、酒を呑まなくなると、人付き合いがまったくと言っていいほどなくなった。女性友達と交際している間はあまり意識しなかったが、彼女とも別れると、そのことが嫌というほど目についてくる。うーむ、僕の交友関係はすべて酒つながりだったのかと、改めて思うのである。
お金は使うことがなくなった。それは一番に気がつく。その代り、コーヒーをよく飲むようになったし、また、本を以前以上に買うようになった。それは本を読む時間もできたためである。
まあ、酒を呑んでバカなことをしなくなったということが一番大きいと僕は思っている。酔っぱらってバカなことを随分したものである。例えば、女性と呑んでいるとする。「酔うとどうなるの?」と質問される。僕の定番の答えは「酔うと酔拳の達人になる」というものである。これを聴くと、大抵は「どんなん?」と訊き返してくる。そこで僕は酔拳の型を真似る。しかし、この酔拳、実は女性の体をベタベタ触りまくるだけなのである。単なるスケベエなだけであるが、不思議なことに、この「酔拳の達人」作戦、嫌がられたことは一度もない。大抵はウケる。ただ、「もう一回、酔拳の達人を見たい」と言った女性は皆無であるが。こんなことをやっていたのである。自分でも恥ずかしいくらいである。
酔っても、ケンカはしなかった。これは事実である。基本的にあまり荒れるということがなかった。アホなこともやるけれども、大体において大人しい酒呑みだったようだ。騒いだりするのも、基本的にはあまり好きではなかった。性格的に困難なのだろう。独りで呑みに行くことがほとんどで、多くても3~4人までのグループでないと、僕は酒が呑めなかったのだ。だから宴会のような場面では、あまり呑む気にならなかった。
今は酒を呑まない生活が当たり前になっている。そういう感覚がある。怖いのは料理酒である。これだけは親にも厳重に注意している。僕が口にする食物には決して酒を使用しないでくれ、みりんでさえダメだとまで言ってある。料理で使うお酒は、調理の過程でアルコールが飛ぶから大丈夫だろうと、無知な人は考えるのである。無知と言うのは、アルコール性の障害に関してということである。確かに、そこでその料理を食しても酔っぱらうわけではない。しかし、僕の経験では、これが契機となって、飲酒欲求が高まるのである。それが怖いのである。この一年間で一度だけ危険だったことがある。たまたま口に入れたチョコレートにラム酒が入っていたのである。もちろん、それくらいで肝臓が参るわけではない。しかし、それから数日の間、酒を呑みたい気持ちに繰り返し襲われたのである。
「一杯くらい」と考えて口にし、それで失敗する人も多い。それは、その一杯でアルコール症が甦るという意味ではなく、その後に続く飲酒欲求が耐え難いものとなるからである。だから、口にしても、その場はその場限りで終わるものである。その場のことではなく、後に来るものの方が恐ろしいのである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)