1月1日(日):墓参りと保育園の記憶
今日と明日で、墓参りと初詣を済ませようと計画していた。これはどちらが先であってもいいものである。起床時間の関係で、墓参りの方を今日済ませておこうと決めて、行ってきた。片道一時間かけて歩いて、また歩いて帰ってくるのである。バスを使えば一本で行けるのだけど、変なこだわりがあって、墓参りは歩いて行くことにしている。
墓参りとは言っても、お墓に入っている人たちを僕は知らない。祖父も祖母も僕には縁のなかった人たちだ。知らない人たちのお墓に参っているのである。だからあまり真面目に取り組まないのかもしれない。でも、そこに自分のルーツがあると信じて、一応、僕なりにやってはいるのである。
帰り道、コンビニに寄って、年末に図書館で借りた本をコピーする。正月のいいところは、こういう時に他のコピー客とかち合わないことである。悠々とコピーさせてもらった。それを読みながら歩いていた。
同じく帰り道に、僕はふと思った。どのコースで帰るかによって異なるのだけど、帰り道に選んだコースは僕が通っていた保育園の近くを通る。そこで、ちょっと寄り道して、その保育園を見てみたくなった。
その辺りの地理に詳しくなかったので、あやふやな記憶を頼りに歩く。一瞬、あの保育園はもうなくなっているのではないかという不安がよぎった。この不安は、僕の家のお墓に誰も知っている人がいないと考えていたことと関連するのだろうと思う。僕の両親以前のことを僕は知らないということであり、それを考えていると、僕は自分のルーツを確認したくなってきたのかもしれない。今から振り返ると、そんな感じがする。
でも、保育園はきちんと残っていた。住宅街にある小さな保育園だ。東側の壁に鳥小屋があったはずだった。僕がいつも眺めていた鳥小屋だった。さすがにそれはなくなっていた。保育園時代の思い出と言えば、真っ先にその鳥小屋が出てくる。鳥たちを眺めて、母が迎えに来るまでの時間を過ごしていたのを覚えている。母が迎えに来て、僕を自転車の後部に乗せる。その母の後ろ姿しか僕は覚えていない。家に帰ると、母は夕食の支度をする。やはり台所に立つ母の後ろ姿しか記憶にない。当時、母がどんな姿だったのか、僕は知らない。一度、そのことを人に話した時に、その人はすごく同情してくれたのであるが、僕は自分が特別不幸な子供時代を過ごしたとも思っていない。
そこから、母が通っていたルートを辿って、今日は家に帰った。その時、ふと思い出した。今日の夢で、僕は子供と関わっていたのだった。この夢のことをすっかり忘れていたのである。僕はもう一つ納得がいったのである。僕がなぜ、子供時代に通っていた保育園を見たくなったかということを。
それはさておき、保育園が残っていたということは嬉しい限りであった。ただ、鳥小屋がなくなっていたのはショックだった。母が迎えに来るまでの、淋しくて不安な時間を共に過ごしてくれた鳥たちの小屋がなくなっていたのだからである。僕の過去の証拠を失ったような感覚に襲われた。まあ、それだけ時間が流れ、時代が変わったということなのかもしれない。鳥小屋がなくなったのと同様、小屋の中の鳥たちから慰めを得ていた子供時代の僕も今はいないのである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)