1月1日(2):勝手に大予想

1月1日(土):勝手に大予想

 

 年が明けて2022年、令和4年が始まった。今年はどんな一年になるだろうか。勝手に予想してみよう。

 

 コロナ禍は継続して、第6波は来るだろう。ただ、ワクチン接種、治療薬の普及によって第5波までとは違った様相を見せるだろうと思う。まだマシとは言え、それでもある程度の自粛生活は覚悟しておいた方がよさそうだ。

 

 経済は昨年よりは回復するだろうけれど、コロナ前の水準には戻らないかもしれない。多くの人がこれまでの生活を中断することを余儀なくされたためだ。それ以前の生活が維持されているのであれば、以前の水準に戻ることも不可能ではないだろうと思う。

 でも、人々の生活スタイルがそのままであれば市場も変動はないという説を聞いたことがある。その通りだという気がする。人の生活スタイルが変わることで市場が活性化し、経済が動くのであればそれはそれでいいことであるかもしれない。

 

 テレワークは今後も継続するだろう。僕は在宅勤務というのはあまりいいこととは思っていない。朝から晩まで自宅にいることになるわけだ。一日から数日ならなんてことはないだろうけれど、これが習慣的になると少々問題が生まれるかもしれない。

 例えば、うつになった専業主婦に一日数分でもいいから外出して、商店街とか賑やかなところを散歩してもらうと、それだけで気分がましになることがある。つまり、家にいる時間が長く、しかもそれが毎日であるので刺激がなくなるのだ。刺激が刺激でなくなっていくのだ。だから外に出て少し刺激を得た方がいいということになるわけだ。

 外界の刺激というのは一般に思われている以上に重要なことである。その極端な例は感覚遮断の実験である。一切の外的刺激を遮断されたら人間がどうなるかという実例である。確かにそこまで極端ではないにしても、在宅ワークは外的刺激をかなり減少させることになるだろうと思う。人はなかなかそれに適応できないのではないかと思う。

 

 心の病はもっと増えるだろう。では、カウンセラーが儲かるかと言えばそうではなく、儲かるのは医師くらいなものであろう。それでも大した儲けにはならんだろう。人は治療よりも気晴らしを求めるものであるからだ。自分をより良くしていこうと望むよりも、今のこの不愉快が消去されたらそれでいいと望む人の方が多いのではないかと思う。

 ネットの世界、あるいはVRの世界がより身近になるとパラノイアのような人が増えるのではないかと思う。そもそも人は二つの世界に同時に住むことはできないと思うので、両方の世界で生きようとする人はどこかで精神的に破綻してしまうのではないかと僕は思うのだ。

 従って、自爆テロみたいな犯罪は今年も何件か発生するだろう。僕も巻き添えを食らうかもしれないが、いつ命を落としてもいいよう悔いのない生を送ろうと思っている。

 

 もう一つ、詐欺まがいの事件も増えるだろうと思う。まともな手段でお金を稼ぐことができなくなればなるほど、そういう事件に手を染めてしまったり、協力してしまったりする人が増えるだろう。それはその個人だけの問題とは限らず、社会経済の問題なども背景にあるのだ。

 それに加えて、経済的な格差もさらに広がることだろう。この格差は中間層がいなくなるということである。中間層が下層に落ちていくことによっていなくなるのだ。一方で上層はさらに上に行くかもしれず、格差が縮まる可能性はゼロに等しいじゃないだろうか。昨年一年で廃業した企業や商店は数知れず、そこで働いていた人たちは無職に陥ったのだが、再就職の決まらない人も多いと聞く。

 

 二年にわたるコロナ禍の災禍は大きい。「人類がコロナに打ち克った証」などと宣うボンクラ政治家には想像できないほどの災禍である。今回のコロナ禍が残した傷はさらに続いていく。本当にコロナが収束したと言えるのは、あるいはコロナに打ち勝ったと言えるのは、今よりも二世代くらい後のことになると思う。僕が生きているうちに収束は見込めなさそうだ。当分、厳しい時代が続くだろう。

 そして、アベスガ政権の尻ぬぐいが始まることだろう。アベノマスクの廃棄処分は一歩前進だ。在庫を抱えるだけで年間9億円かかるなんてアホみたいだ。費用をかけてでも廃棄した方がやはり良いのである。不良債権なんかさっさとケリをつけるに限る。それよりもオリンピックの後始末だ。収支決算をきちんとしなければ。国がどれだけの損失を被ったのかを公表しなければならない。間違いなく大赤字だ。それだけは間違いない。その大赤字が国民の税金で埋め合わされていくのだからやりきれない。

 だから増税はあり得る話だ。消費税20%の時代が来るだろう。ドイツあたりはそれくらいの税率であるが、その分、老後の補償がしっかりしていたりする。納税した分の見返りが期待できるのである。日本ではとてもそんな期待は持てない。現時点で老後に必要なお金が2000万円とか言っているのだ。きっと、ドイツではそんなこと言わないだろうと思う。

 

 まあ、いい予想は何もない。最悪の一年が始まったという感慨しか抱かない。僕の方はと言うと、今年が僕の人生の最後の年になるかもしれない。生きて2023年を迎えることができないかもしれない。まあ、毎年、同じようなことを予想しているのであるが、どうにかこうにか年を越してきているので、僕の予想もいい加減なものだ。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

 

 

 

 

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