8月24日(木):一件の電話
今日は細々した作業を片付けようと計画していた。一つ一つは小さなものなんだけど、溜め込んでしまうとけっこう厄介である。そして、溜め込んでしまうと、それに意識が奪われてしまうのだ。
何をやったか、全部を書くと煩雑になるから、簡潔に書いておこう。
書類や用紙の整理。
面接録音をディスクに。これはレコーダーから一旦パソコンに入れるのだけど、それもずいぶん溜め込んでいた。ディスク15枚分くらいになった。
不要な用紙やメモの処分。これは分量が半端じゃないので、今日一日では終わらないということは覚悟していた。どんな小さな紙切れでさえシュレッダーにかけて裁断する。
その他、清掃関係としては、室内やトイレも掃除する。食器類をすべてハイターに浸して、洗浄する。
そして、パソコン内の原稿整理を行い、この後、ブログの更新作業を行う予定。
数件の電話あり。大半は営業関係だ。僕は一切断ることにしている。
中断中のクライアントから電話があった。他所で受けます、だからここは止めますとのこと。そんなこといちいち言わんでもいいのにと思いながら受理する。でも、その人の時間をこれからは空けておかなくてもいいかと思うと気が楽になる。
この人の場合、何かにつけて荒れる可能性がある。別れ際がスムーズだった分、改善しているのかもしれない。とは言え、止める方の意思表示はしっかりされるのがこの人の特徴ではあるが。
多くの人が勘違いしているのだけど、僕はベネデッティの次の発言に賛同する。彼は、必要な言葉(解釈)をクライアントが受け取ったら、技法の違いにかかわらず治るということを言っている。僕はその通りだと思う。
だから何人もの治療者でうまくいかなかった人は、治療者を変えてもうまくいかないことが多いのだ。必要なものをその人が受け取らないし、時には拒否したりするからである。その人の中に上手くいかなくさせているものがあるのである。
他所へ行くと言ったこの人であるが、同じ結果になるだろうと僕は予期している。それでも可能性はある。A先生との体験で得たもの、B先生から得たもの、C先生から得たもの、それぞれあるだろう。その都度、少しずつ改善していく可能性はある。だから今度の先生との間で新たに得るところのものもあるだろう。
しかし、別の可能性も濃厚である。もし、この人がそれぞれの先生との間で得たものを統合できればいいのだけど、僕の見た限り、この人の自我にはそれが難しい。そのため、各々の治療者との間で経験したことは、各々で分断されてしまい、つながることがなさそうである。以前の経験が生かされないのである。そうなると、毎回、その場限りの改善だけが見られるだけとなり、蓄積していかないのである。
まあ、来なくなった人のことをあれこれ考えるのは止そう。今現在、来てくれている人のことに集中しよう。
この文章は新パソコンで打ち込んでいる。まだ使い慣れていないので、打ちにくい。書式も旧パソコンとは異なっているので、これをサイトに上げた際にどのように見えるかが気になる。まだまだ試行錯誤しながらやっていくことになりそうだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)