9月8日(木):ミステリバカにクスリなし~『メグレと田舎教師』
その日、朝早くからメグレ警視を待っていた男は、ブルターニュ地方の小村で教師をしているガスタンだった。彼は殺人事件の容疑者であり、メグレに救いを求めてきたのだった。
そこはメグレの管轄外であったが、牡蠣の名産地であったことがメグレの食指を動かした。彼は休暇を取り、ガスタンと共に村に赴く。
村で殺されたのは、元郵便局員の老婆であった。この女は、人の手紙を勝手に読んだり、配達すべき手紙を着服したりと、とかく人の秘密を嗅ぎまわり、評判の良くない女であり、退職後も村民からの嫌われ者であった。
そんな女が殺されたのだから村人はもっと喜んでいいはずなのに、彼らの感情はよそ者の教師に注がれる。普段は対立したり半目しあっている村民であるが、よそ者に対しては結束するのである。彼らはよそ者であるガストンを排斥する。
ガストン一家は、妻の不貞のために以前の住処を去り、この村で再起を目指していたのだった。彼らは村では異邦人なのである。そのような時にガストンが殺人容疑で村人から排斥され始めたわけである。
メグレもまたよそ者として、村人たちから好奇と嫌悪のまなざしを注がれることになる。その中で独り捜査を続けていくことになる。
メグレは一人一人の関係者と会い、話をし、尋問をする。そこで浮き彫りにされるのは、その人物の人間性である。従って、どんな手がかりや謎が提示されるかという興味よりも、どんな人物が出てくるのか、どんな人間性が浮き彫りにされるのかといった興味が生まれる。
メグレものの楽しみがそこにある。謎解きの楽しみというよりも、むしろ、人と会う楽しみに近いものを僕は感じる。
登場人物たちは、それぞれの背景を持ち、過去を有するが、あまり幸福そうな人が登場しない。みんな何か暗いものを背負っていたり、影があったりする。個々の登場人物の魅力がそこにある。本作でも教師一家の面々に魅力を覚える。
殺人嫌疑をかけられている父親は、息子も同じ学校の生徒であるため、贔屓していないように見せかけるために我が子には採点を厳しくするなどしているのだが、それは詭弁であるかもしれない。村に受け入れてもらえていないといった意識がそのような行為を生み出しているのかもしれない。
妻であり母親の方は、過去を悔いて、罪悪感だけを支えに生きているような人物である。彼女もまた疎外された人間である。自己疎外を起こしているように思う。
息子は友達を一人も作ろうとしない。成績は優秀だが、父は二位の生徒を一位に持ち上げたりするが、それに対して関心が低いようである。父親の事件に対してもどこか淡泊である。ことさら感情を出さないようにしているのかもしれない。
その他、田園監視人夫婦、肉屋の親子、村役場の職員など、一人一人が印象に残る。
ただ、シムノンの長編小説は規模があまり大きくない。本書も260ページほどの作品である。非常に読みやすいのであるが、人物たちに馴染んだ頃に物語が終わってしまうという感がなくもない。
推理小説としても面白く読める。
本作では子供のついたウソが絶妙に絡み合って物語を面白くしている。
他のメグレものと同様に、派手なトリックだのアリバイ崩しなどは見られない。事件は劇的に解決されることもない。むしろ、地道にコツコツと真相に近づいていくといった感じである。
そうして事件は静かに解決されていく。そこには一抹のわびしささえ感じられる。
登場人物の一人一人に不幸があり、苦悩がある。そんな中で犯罪事件が起きてしまうのだ。そして、事件が解決されても、それとは無関係に彼らの人生が継続していくのだ。事件解決によって幸福になる人はいないのである。
メグレもまたそうである。結局、お目当ての牡蠣を食することなく、事件が解決すると静かに村を去っていく。
さて、僕の唯我独断的読書評は4つ星だ。面白く読めた。ミステリとしては3つ星くらいだけれど、人物たち、雰囲気などが魅力である。
<テキスト>
『メグレと田舎教師』(河出書房)
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)