9月3日(月):口コミって?
今日は腰痛はましになっている。やっぱり昨日がピークだったようだ。でも、注意していないと、これがぶり返すかもしれない。こういう時に無理は禁物だ。痛みがなくなったと喜んで、一気に活動してしまわないようにしよう。
さて、今日はそれほど忙しくはない。今月の初日(平日は今日が最初)なので、銀行へ行って支払い関係を済ませる。今日までの分は何とか支払いを終える。毎月こんな綱渡り状態である。僕自身が金持ちになろうとしていないので、それも当然か。
面白い電話があった。某IT関連会社の営業からで、SNSを活用した広報案というものだった。要するに口コミでウチを広く知ってもらおうということらしい。彼らが何をするつもりかは不明だが、僕はそういうものは信用しない。
その営業マンが言うには、僕の所がSNSなどで好評価を得ているらしい。ホンマかいな。どこの誰がウチのことを「いいね」などと評しているのだろう。そんな人が本当にいるのだろうか。それに、彼らが好評価を自分で作成して、それで契約を取ろうとしていないと証明できるだろうか。つまり、自分たちでシロアリをばら撒いておいて、シロアリ駆除しましょうという商法をやっていないかどうかということである。僕にどうやってそれが確認できよう。
それに、僕はそういう好評価というものを信用しない。まず、患者にとって治療者は恩人になるのだけれど、治療から離れれば治療者は過去の人間になっているものである。僕のひざを手術してくれた医師のことは感謝しているし、どういう先生であったか思い出すこともできる。でも、日常生活において常にその先生のことを考えているとすれば、それはまた別の種類の問題である。
もう一つ付け加えておこう。口コミには、良かったところに好評価が投稿され、良くなかったところに悪評価が投稿されるものだと、普通、人は信じていると思う。憎んでいる相手に好評価を投稿するという可能性があるということを、大抵の人は見逃す。なぜ、そんなことをするかと言うと、一つには反動形成がある。もう一つは、自分だけが「被害」に遭うことに耐えられず、同じような「被害者」を作り出すことで自分を救おうと試みることがあるからである。
今の話は分かってもらえただろうか。毒饅頭で苦しんだ人は、その饅頭を食ってはいけないと他の人に忠告することもあれば、その毒饅頭は美味しいと宣伝して自分と同じ苦しみを多くの人に経験させようと試みる人もあるということだ。そうして、苦しんだのは自分だけではないという事情を作り出すわけである。
近頃、SNSやネット掲示板の基準が厳しくなっているそうだ。下手に悪評が撒き散らされないように何かと工夫されている。いいコメントしか投稿できなくなると、被害者仲間を作り出す人たちがもっと現れてもよさそうなものだと僕は思っている。
まあ、そんなことはどうでもよい。口コミなんてものを僕は信じない。何事も「百聞は一見にしかず」である。今後とも、僕の口コミをする人はしてもいい。好評価をしてくれた人に特別に感謝することもないし、悪評価をする人のことも特別に恨んだりはしない。ただ、「今、あなたが本当にしなければならないことは、それなんでしょうか?」と両者に僕は問い続けたい。
長々と綴ってしまった。結局、その営業は断った。僕のことだから当然そうなる。
その後、夜は飲みに行った。飲み友達と会った。彼らとは久しぶりに会った。お互いの近況や、共通の知人のことなんかも話し合った。今日一日、それだけが有意義だった。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)