9月29日:解放されたい
しばらくブログも書いていなかった。サイト自体触っていないという日が続いた。今月はどうもサイト作業に身が入らない。いくつかのブログや原稿は書いたのだけれど、公開していない。どうも億劫に感じられてしまうのだ。
最近は生活が不規則で、いろんな雑用に追われたりもする。面接だけをできればいいのだけれど、なかなかそういう訳にもいかない。他のいろんな作業もこなさないといけない。
コンビニのアルバイトは、10月、もしくは11月に辞めようと考えている。それ以上はやらない。コンビニでもいいのだ。僕はそこでもっと接客やサービスの展開、経営に関する事柄などをもっと学びたいと思っていた。いや、それは今でも思うのだ。でも、あの店ではもう学ぶことはない。むしろ間違ったことを学んでしまいそうで、それが困る。
今のオーナーの考えややり方に関しては、それは正しくないと思うことがいくつもある。そこで末永く働くつもりなら、たとえ正しくないと知っていても、僕はそれに従うだろう。でも、もう去っていくのだから、僕はそれに従わないことにしている。自分の信念を曲げてまで従うつもりはないし、そこまでする義理がもうないのだ。言い換えれば、あの店に愛想が尽きているのだ。
今日もこの後夜勤をする。仕事はする。ただし間違ったことはしたくない。自分勝手なやり方だけれど、もうどうでもいいのだ。
コンビニというのは、自分が利用する時の体験を見つめていると分かるのだけれど、その時の買い物しか眼中にないものだ。タバコを買いに行く時はタバコの所しか見ない。夜食を買いにコンビニに行こうという時は、今日の夜食しか探さない。そういうものだと思う。
このことは逆に言えば、その一回の買い物でお客さんに商品とサービスを提供できなければ意味がないということなのだ。いささか飛躍した感じがするかもしれないけれど、夜食を買いに行って、それなりに求めているものがあれば、その人は次も利用してくれるものなんだ。それ以外の事柄は、お客さんからすれば二の次なんだ。その一回の買い物で、欲しい物がなかったり、品揃えが悪かったり、店舗や店員の印象が悪かったりすると、二回目はないと僕は思う。
だから、考えなければならないことはそういう部分なのだ。それが僕の考えで、オーナーはそこがまるで理解できていない。僕が怒るのは店全体が客目線でなくなる時なのだ。一応客商売なわけだから、本部の方針も守らなければいけないとは言え、店員の一人一人が客目線を保つ必要があるわけなのだ。客をそっちのけにして、自分たちのルールだけを考えているようでは、僕はそれは正しくないと信じている。そういうことなのだ。
しかしながら、そんなことを考えている自分にも、もういい加減、嫌気がさしている。他人の店のことであれこれ考えるよりも、そこから解放されたいと思うようになっている。解放されれば、気がかりも減って、少し生活が楽になるんじゃないかと、そういう期待も抱いている。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)