9月26日(月):僕が書く理由
よく政治家なんかで無所属、無党派だという人たちがいる。どこの党にも所属していないということだ。それは本人の考えや主張があってのことだろうから、それは構わない。ただ無所属であるからには、その人は党に所属している人以上に自分の意志や考えを声明し、公表していかなければならないものだと僕は思う。
僕が政治家で、A党に所属しているとする。僕はA党が目指しているものに同意していますよということであるので、A党が声明することが、僕の声明するところのものとなる。党が僕個人の代弁をしてくれるわけであり、僕はA党を支持していますという表明をすればいいだけである。
無所属の場合、このような代弁者がいないということであるので、その人は人一倍、その人自身の見解や考え、主張を表明していかなければならないはずだと、僕は考える。
もっと身近な例で言えば、初対面の人と名刺交換をしたとする。相手の名刺を見ると、彼が所属している企業なり団体名が記されている。その中での彼の肩書や役職がそれに付されているのが一般的だ。彼がA株式会社の社員だとする。そこが有名な一流企業であればあるほど、僕は彼に訊かずして、彼がどのような仕事に就いているのかが推測できる。
どこかに所属するということは、所属する母体が既にその人の大部分を代弁してくれているものだと思う。これが仮に、名刺交換した人がフリーターだとしたら、僕は彼に「今はどんな仕事をされているのですか」とか「どういうことをされているのですか」と尋ねなければならないだろう。彼には、彼に代わって述べてくれる所属集団がないためである。
僕の場合もそうだ。どこかに所属しているわけではなく、僕は個人で経営している人間だ。僕は、経営者というものはフリーターと変わらんと思っている。それはともかくとして、僕は無所属であるが故に、人一倍、僕がどんな人間で、どんな仕事をしていて、どんな考え方をしているかということを表明していかなければならないと考えている。本サイトにて、ごちゃごちゃと原稿を書き足していっているけれども、その理由は上に述べたことのためである。読み手をそれで助けようとか、納得させようとかいう意志はほとんどない。多少、読者のことも考えてはいるつもりだが、基本的には、僕自身のために書いているのだ。
同業者や同僚たちは、「○○学会学会員」であるとか「○○大学非常勤講師」などと書いている人たちもいる。それはそれでいい。それは一つの所属であり、その人の所属する学会や大学が、その人の代わりに語ってくれる事柄があるだろう。僕には今の所、そういったものがないし、恐らく、今後もないだろうとは思う。所属していないが故に、僕は原稿を書いて、公開していかなければならない。それが、どこにも所属していない僕の義務だと思っている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
多少なりとも、僕の真意が伝わるだろうか。僕という人間を表明する手段は、このサイトだけなのである。他の何かが僕自身のことを代弁してくれるものはない。このサイトだけなのだ。だから僕はこれに書き続けなければいられないのだ。
(平成28年11月)