9月18日(日):高槻カウンセリングセンター誕生秘話(4)
(ハイエナを追っ払う)
しかし、僕が何よりも驚いたのは、どこにも広告すら出していないのに、営業マンがやってくるということだった。それはセールスだったり、先物取引だったり、団体への寄付だったりで、招かれざる客たちが何人も訪れたものだった。
なんで連中はウチを知っているのか不思議だった。常日頃からこの辺を歩き回って、新しくオープンした所をチェックしていたのだろうか。なかなかこれは前途多難だぞと僕は思った。とにかく、そういう連中を追っ払うということに追われた日々があった。一部の連中とは随分もめた。大抵は門前払いを食らわす。面倒くさい時は居留守を使う。僕には彼らにかまっている時間なんてなかった。
当時の僕は、広告のことや仕事で使う用紙類を作成したりで、作業をたくさん抱えていた。その上、放送大学に通っていて、それもまだ終わっていなかった。カウンセリングに関しても、いつか述べようと思うけど、ブランクがあったので、遅れを取り戻さなければならなかった。クリニック時代のケースや記録、日記などを読み返したりもする必要があった。研究会にも所属していたし、僕の師匠にも会いに行かなければならなかった。カウンセリングの依頼はなかったけれど、本格的に忙しくなる前に、僕はそれらを済ましておきたかった。時間はむしろ足りないくらいだった。だからハイエナのように寄ってたかってくる連中を相手していられなかったのだ。
そして、ここに至って、強烈なハイエナにぶつかった。それは営業の人間ではない。僕が行きつけの飲み屋を作っておいたということは話したと思うけれど、強烈なハイエナとは、その店で知り合った女性である。ずっと高槻で暮らしてきた人だと言うので、僕はいろいろ聞けそうだと踏んだのだ。その人に携帯電話番号を教えたのが僕の間違いだった。その人からやたらと電話がかかってくるし、用もないのに事務所にやってくるしで、彼女には非常に手を焼いた。彼女のお蔭で、僕は携帯電話恐怖症になったのだ。その当時、彼女からの電話にあまりにうんざりして、ついに携帯電話を捨てたのだ。以来、携帯電話を僕は持たないことにしている。
ある時、事務所に電話がかかってくる。僕はお客さんか、いよいよ仕事が入るかと、期待に胸躍らせて受話器を取る。取ったら、相手はその女性だったりする。僕はがっかりきて、「いい加減にしてくれないかな」と内心思う。僕はこれはえらいことになったぞと、当時思った。お客さんに来てもらう前に、疫病神に見舞われたぞと、僕は真剣に考えた。彼女やそのほかのハイエナ連中にこれ以上煩わされたら、やってられないぞと思った。そこで、僕は態度を改め、ある方法を取ることにした。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
この女性のことはよく覚えている。とにかくしつこかった。これから仕事をしていこうとしていく中で、とにかくネックだった。僕がどんな状況であるか、彼女は見ないのだろうと思う。自分が助かることしか考えていないタイプの人だったように今では思う。
まあ、トラブルは今も絶えないけど、それもまた生きるということだ。
(平成28年11月)