9月18日:食べ放題は食の衰退か 

9月18日(火)食べ放題は食の衰退か

 今日は定休日だ。外出予定をいくつかこなしたいのだけど、足と腰が痛むので、延期とする。こんなことばかりだ。

 家で本を読んで過ごす。ふと、たまには昼番組でも観てやろうという気になった。テレビをつける。普段からこの時間帯はテレビを見ないので、何をやっているのかよくわからない。とりあえず「ヒルナンデス」を見ておこう。これは定食屋でちょくちょく見かけた番組だ。

 同番組にて、「かっぱ寿司」の密着取材コーナーがあった。いろんな工夫が凝らされているなと思った。中でも、ランチとディナータイムの間に食べ放題の時間帯を設けているというのが印象的だった。その営業ではなく、そこに来る客たちが特に印象に残っている。

 時間内食べ放題となると、元を取ろうとする人たちはとかく量を食べるのだ。何を食べるかではなく、どれだけ食べるかが最重要課題となっているようだ。ある人は50貫食べると意気込んでいた。どうも、ああいう姿を僕は見たくないと感じる。人間の貪欲な姿を垣間見た思いがしてしまう。

 あと、生ビール100円セールの場面もおかしかった。一人の男性客は、「何杯飲む予定ですか」と問われて、「4杯」と答えるのだけど、手は「7」を指していた。手のほうが本音だという気がする。

 午後から、少し外を歩こうという気になって外出するも、足が痛くて普通に歩けない。近所でお茶して帰る。

 帰宅後も本を読んだり、パソコンをいじったりして過ごす。ちょっとした出来事があって、家に警察が来る。別に我が家に何か事件があったわけではない。ただ、被害に遭いかけたということで警察が事情聴取に来た次第である。

 夜、定番の「ちゃちゃいれマンデー」を見る。偶然にも、ここでも「食べ放題」特集をやる。最近の流行なのかね。

 どうも、僕は食べ放題というのが苦手だ。以前はそうではなかったけど、近年、ますます嫌気が差している。自分が食べたいと思うものを注文し、自分に与えられた分を美味しくいただく。それで足りなければ追加注文をするのは構わないけど、自分に与えられた分で満足できることは幸せである。

 食べ放題となると、どうも皆さん量を食べようとしているように僕には見えてしまうのだ。それは個人の楽しみの自由なので、僕にはとやかく言える権利はないのだけど、見ていると、どうしても食文化が衰退してしまったように感じられてくるのだ。節度が低下して、貪欲さが高揚してしまっているように見えてしまうのだ。

 時間内にお寿司を50貫食べようとする人は、1貫のお寿司から限りない幸せを得られる人よりも貧しいものである。

 しかし、回転すしとはよく言ったものだ。回転するのは、寿司ではなく、客の方だと、昼番組を見て、改めてそう感じた。いかに客を回転させるかの勝負だという気がする。

家族連れの場合、小さな子供は食べるのに時間がかかる。選ぶのにも時間がかかるかもしれない。そうならないように最初から子供が好むメニューを提示するわけだ。

 〆の麺類もきちんと用意してある。「この後、どうする、ラーメンでも食いに行くか」などという会議の時間がここで省略される。あるいは、「うどんが食いたくなった」-「私はまだお寿司が食べたい」という論争もしなくて済む。

 お店側はこうして客の時間を短縮させているように僕には思われるのだけど、僕の認識が歪曲しているだけだろうか。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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