9月16日(金):高槻カウンセリングセンター誕生秘話(2)
高槻で何軒が物件を見させてもらって、駅前にちょうどいい部屋があった。それが現在の場所だ。直前まで司法書士さんの事務所が入っておられたそうだけど、手狭になってきたという理由で立ち退かれたそうだ。僕は一人で仕事をすることになるだろうと当時から考えていたから、僕にとってはちょうどいい広さだった。何よりも、このタイミングの良さに運命的なものを感じて、僕は迷わずここにした。
この部屋を仮に押さえておくということで、不動産屋さんと話がついた。その時、「屋号はどうします?」と訊かれて、僕は咄嗟に「高槻カウンセリングセンターで」と答えた。なぜ、咄嗟にその言葉が出たのか僕自身よく分からなかった。
屋号については、二つだけ決めていたことがあった。
僕は駅に近い場所で開く計画をしていたから、必ず屋号にはその駅名を入れようと考えていた。これには理由があって、僕がクリニックに勤めていた頃、場所に関する問い合わせをけっこう受けたことがあった。当時はインターネットなんてなかったから、大部分は電話帳で調べて、問い合わせをされたのだ。僕は電話帳にクリニックの地図が載っていたのを知っているし、問い合わせをする人たちもその地図を見ているはずなのだけど、それでもわざわざ「そちらの場所はどこですか」などと問い合わせをしてくる。明らかにこちらの様子を窺っているような人もあった。それでも、問い合わせされた以上は説明しなければならない。僕はそれが面倒で煩わしかった。
高槻で営業するからには、屋号に「高槻」を入れようということは決まっていたのだ。そうしておけば、場所が分からないからと言って、枚方や上牧に行ってしまうことはないだろうし、取り敢えず高槻まで来てくれたら、後はなんとかなるだろうと思っていた。
屋号に関して決めていたことで、もう一つのことは、「カウンセリング」を入れようということだった。こういう言葉が初めから入っている方が、インターネットで検索される時に、引っかかりやすいだろうと踏んだのである。
この二つのことが決まっていたから、「高槻カウンセリングセンター」という名前がすらすら出てきたのだろう。僕にとっては、屋号なんて関係なかった。僕がカウンセリングをできればそれでいいと思っていたからだ。だから、僕が仕事をしていけるのであれば、どんな名前であっても、僕は構わなかった。
こうして、屋号も決まり、場所も決まっていった。初めて部屋に入った時、それも自分で鍵を開けて入った時、僕は新鮮な感じがした。しかし、まだ何も置かれていない部屋で、一人ぽつねんと座っていると、改めて不安に襲われた。「はたして、ここで一人でやっていけるだろうか」と、僕は初めて自分の将来を心配した。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
やはり直感に従う傾向があるのだなと改めて感じる。
初めの頃はやっていけるだろうかという不安と毎日格闘していたなということも思い出す。
初めて鍵を開けて扉を開けた時の感動は今でも思い出す。
(平成25年6月)