9月16日:歩いた日

9月16日(火):歩いた日

 このブログも書こう書こうと思いながら、ついついサボってしまった。あまりこいつに時間を割く気にもならないのも確かだ。
 先週、先々週辺りから体調がすごく良くなかった。熱が出た時には、今はやりの「あの」熱かと本当に不安になった。医者に言わせると、なんらかのアレルギー反応だろうということだった。事実、一晩寝たら熱は治まった。その他、目はやられて涙がポロポロ出てくるわ、咳やくしゃみは止まらないわ、鼻水はダラダラ垂れ流れるわでひどいものだった。なんのアレルギーかは分からないけれど、花粉もあるだろうとのことだった。
 まあ、医者は医学の観点でモノを言うのだから、それはそれでいいのだけれど、僕はこの状態は僕自身の何かが僕に抵抗しているような感じがしてならなかった。前に進むことを中断させようという何かが働いているような感じだ。
 実際、鼻水やくしゃみ、咳で、何度も作業が中断する。スムーズにいかない。それがこの症状の意味であるように感じる。

 まあ、それはさておき、この二日間は少しゆっくりさせてもらった。世間は三連休だけど、クライアントには可能な限り土曜日に来てもらって、日月はあまり予定を入れないようにしておいた。
 今日は、鼻水はまだ多少残っているが、体調そのものは悪くない。朝から原稿を2テーマ分仕上げた。午後から外を歩こうと決める。まず、食事をして、本を読みながらお茶をする。
 15時。喫茶店を出た。ふと、今から長岡天神まで歩いてみようかと思い立つ。千代原口から物集女海道を南に向いて歩く。歩数を数えながら歩く。八条が池に到着したとき、4500歩(9000歩)だった。
 具合が悪いと言って休んでいたので、体がひどく鈍っていたし、重たかった。歩いていて、最初の100歩(200歩)で、やっぱり止めとこうかなという気になった。でも、何となくだけど、決めたことはやり遂げようと思い、歩き続ける。最初の2000歩(4000歩)くらいが特にしんどかったけれど、後は自然と体が動いてくれる感じだった。ノンストップで約70分で歩ききった。

 長岡天満宮を参拝して、周辺を歩く。前に来た時は池の上の通路は工事中だったけれど、きれいな歩道が出来上がっていた。歩いていると気持ちがいい。
 駅前の喫茶店で休みながらこれを書いている。17時だ。この2時間はタバコを吸っていないし、タバコのことも考えていなかった。これを機に禁煙をしてみるのもいいかもしれない。
 半日程度の禁煙は折に触れて試みているけれど、まったく止めようという気持ちにはならなかった。今は喫煙欲求がまったくない。体を動かした後ということもあるのか、呼吸がラクに感じられる。
 しかし、千代原口から長岡天満宮まで、1万歩ないんだなと改めて発見した。左右で一歩と数えているので、実際は2歩で1カウントしていることになる。しかも、少し遠回りをしてしまったので、効率よくコースを組めばもっと少なくなるだろう。これやったら毎日歩いてもいいなという気分になっている。

 本は、専門書以外ではカミュの「ペスト」を今読んでいる。あと三分の一くらいで読み終える。また、いくつかのビジネス書を読み直している。このビジネス書の類は処分しようと考えていて、まあ、処分する前にもう一度目を通しておくかという軽い気持ちで読んでいる。
 職場にも、自宅にも、モノが多くてそろそろ嫌気がさしている。資料とかメモとか、何でも残しておく癖があるせいだ。それらを処分する。書籍も不要なものは処分する。せっかく購入した、あるいは保存したのだから、処分の前に最後に目を通しておいてそれらとお別れすることにする。
 資料は、重要なことはノートに残し、全体を置いておきたいとなれば、スキャンしてパソコンに入れてしまう。そして場所を取るモノを処分することにしている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 やはりこの頃は具合が悪かったのだな。
 長岡天神まで歩いた日のことはよく覚えている。なぜかは分からないけど、歩こうと決めたのだ。目的とか、意図するところのものは何もなかった。ただ歩こうと、そういう気持ちになったのだった。無意識の衝動に適度に身を任せてみるのも悪くないことだ。
(平成29年2月)

 

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