9月16日:「商店街を歩く夢」

9月18日(金):(夢)「商店街を歩く夢」

 

 最近、夢は見るけれどどれも断片的なものばかりで、久しぶりにまとまった流れの夢を見たので記録しておこう。

 

(夢)「商店街を歩く夢」

 僕は電車に乗っている。京都から大阪へ向かっているところだった。

 僕は仕事に行くのだけれど、その前に大阪へ行って用事を済ませることにしていた。

 高槻を通過して大阪方面へ。途中、時間が中途半端であることに気づく。大阪へ行って用事を済ませてから職場に向かうと遅れてしまうし、このまま引き返したら時間が余ってしまうしで、どうしようかと思った。

 それで途中下車して、そこら辺を歩くことにした。駅を出たらすぐに商店街がある。感じとしては淡路駅とか十三駅といったところだ。

 電車を降りる。しばらく外を歩く。改札がないなと思う。僕は手に切符を持っていた。しばらく歩くと改札口が出てきて、ここはホームから改札までがやけに長いなあなどと思った。

 駅を出ると、商店街なんだけれど、どの店もシャッターが下りていて、薄暗い。まるで深夜のような感じだ。でも、いくつかのお店では開店準備をしているようだった。

 とあるビルに入る。スナックビルのような感じで、狭い通路の左右に小さなお店が連なっている。当然、どこも閉まっている。

 何となくここには来たことがあるという感じがした。この廊下の突き当りを曲がると行き止まりになっているはずだ。僕はそれを確かめる。確かにその通りだった。行き止まりの部分は物置になっていたのだろうか、看板とかレジとか、大小さまざまな物が雑然と置かれている。

 別に用事もないので、僕はそこを後にする。

 

(感想)

 なんとも寂しい感じのする夢だった。

 最近、久しぶりに大阪へ行きたいなと思っていた。時間があれば行くのだけれど、なかなかまとまった時間が取れない。それに、特別何か用事があるわけでもない。ブラブラ歩いてみたいというだけのことだ。夢ではそういう願望も少しは反映されているようだ。

 大阪へ行って、商店街とか歩きたいんだけれど、一方で、以前あった古書店とかが今はなくなっているのではないかといった心配もしている。そうした心配も夢に影響しているようだ。

 また、2,3日前のことだったけれど、仕事を終えて夜の高槻を歩いていた。あまりの人通りの少なさになんとも寂しい気分になったのを覚えている。その感情も夢の中の商店街に表されているのかもしれない。

 出勤前に用事を済ませるというのは、これも最近、仕事前に一仕事しようと考えて実行している。仕事を終えてからあれこれのことをすると寝るのが遅くなる。もっと朝型の生活を送ろうなどと考えているところである。もっとも、大阪まで行くようなことは出勤前にはしないんだけれど。

 夢の中の商店街ではお店はどれもシャッターが下りていた。タバコを喫える店が少なくなっていて、今の僕には入れるお店が限られている。喫煙者お断りと言われている感じがして、そんな感じを受ける前にこちらから積極的にお店には近寄らないようにしている。夢ではそれが店の方からシャッターを下ろされているという形で出てきたのだろうか。

 こうして見ると、最近考えていることややっていること、望んでいることなんかが、夢の中の随所に現れている感じがする。

 今の僕はそういう感じだ。行きたい所もないし、入ってみたいお店とかもない。わずかに自由にできるのは仕事前の時間だけといった感じである。以前ここに来たことがあるという夢の中の感覚は、こういう状態になるのが初めてではないということなんだろう。確かに、僕は以前にもこういう状態に陥ったことがある。どこにも行こうという気もなく、そういう場所もないといった時代があった。その時代のことを思い出す必要があるのかもしれないな。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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