8月9日:五輪選手の訴え

8月9日(月):五輪選手の訴え

 

 僕にとってはどうでもいいことなんだけれど、やっとのことオリンピックが終わった。これからパラリンピックもあるかと思うと、なんだか生きた心地がしないのだが、それでもやっと終わってくれたかと胸を撫でおろす。

 今回の五輪、どれだけ赤字だっただろう。何兆円規模の赤字だと思う。この赤字を今後我々で補填していかなければならないのだ。加えて、今後、どれだけ負債が増えるかは未知数だ。海外から訴訟される懸念もある。

 結局、400人以上の関係者が感染したのだ。内訳は分からないけれど、その中には選手もいればスタッフもおり、マスコミ関係の人もある。いずれにしても海外から日本にわざわざ来てもらって感染させてしまったことは日本人としては申し訳ない気持ちにもなるし、彼らを気の毒に思う。

 そんなことはない、彼らはプレーブックを守らなかったから感染したのだという意見もあると思う。それはそれで正しい一面もある。しかしながら、安全な大会を主張してきたのは日本である。本当は安全でもなんでもなく、緊急事態宣言すら出ているにもかかわらず開催したのだから日本はその責任を問われてしまうかもしれない。

 普通の感覚で言えば、これは詐欺である。詐欺行為そのものである。それ自体が罪であるが、詐欺を働いているのに赤字になるってどうしようもないなという気持ちになる。

 

 日本は五輪をやるべきではなかったのだ。去年の延期決定の時点で中止を選択しておくべきだったのだ。本音を言えば、その時点ですでに手遅れになっていたのであるが、それでもそこで中止しておけば後の損失は生まれなかっただろう。

 五輪なんかとはさっさと手を切って、コロナ対策一本に絞ったほうがよかったのだ。五輪に回す経費をコロナ対策に充てていれば、もっと違っていただろう。ワクチンの供給も途切れることなかったかもしれない。

 今、毎日のように感染者数が増え、必ずどこかで過去最大の数が生まれている。毎日何かの記録更新があるというわけだ。インド株はそれだけ感染力が強いと言うのだけれど、それだけではない。早期発見、早期治療という基本ができていないからである。

 五輪の会場なんか更地にして(更地までしなくてもよいのだが)、そこにプレハブでもいいから隔離施設を作ればよかったのだ。医療従事者が足りないのは、彼らが散在しているからでもある。僕はそう思う。もし、感染者を一か所に集めることができれば、医療従事者はもっと少ない数で対応できると僕は思う。それに、手がかかるのは重症患者である。早期発見・早期治療して重症化する患者を減らすことができれば、つまり、重症化する前に手を打つことができて重症化を防いでいれば、医療従事者の負担がかなり減るはずなのだ。

 政府の対策はこの真逆をやるのだ。重症化してから病院にかかることを指示しているのである。無症状、最軽症(普通の軽症よりももっと軽症という意味だ)のうちに治療を始めないといけないのだ。

 それをしようとすれば、まずは検査である。検査で陽性者を発見し、一旦彼らは隔離施設に入ってもらう。そこで治療を施すのである。症状もないのに治療をするというのは一般の人にとっては奇異に聞こえるかもしれないけれど、それは本来の医療でもあるのだ。症状が現れてからでは遅いのである。特に、こうした感染症ではそうであると僕は思う。

 医療の基本的な部分をやらせてもらえないのだ。政府がそれをやろうとしないのだ。五輪で言い換えれば、基礎練習のできていない選手に専門的なトレーニングさせて、それだけで金メダルを取れと要請しているようなものなのではないか。現実は基礎的な練習のしっかりできている選手の方が強いはずである。

 

 くだらない。実にくだらない。こんなことを書いている僕自身も自分に嫌気がさしてくる。さして盛り上がらない五輪の裏で生活に困窮してしまっている人がどれだけいることか。五輪は終わっても、五輪の負債は抱え続けなければならないし、五輪の呪詛はまだまだ生き残ることだろうと思う。

 五輪に出場したテニス選手が言ったそうだ。ゲームは続けることはできるが、死ぬかもしれない、死んだら責任を取るか、と。猛暑の中で行われた試合の最中にそういう言葉を発したそうだ。この選手が訴えていたことは何か。猛暑のことではないはずだと僕は思っている。もっと他の何かをこの選手は訴えているのだ。この選手が本当に訴えているのは何か、そこが聞こえる人が政府にはいるだろうか。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

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