8月7日(土):小山田関連ユーチューブより
今日は、仕事の方はあまり忙しくなかったけれど、細々した用事がいくつも入っていた。その他、事務的な作業もやってしまおうと決めていた。朝の7時には活動開始ときた。
それだけ早く家を出たのは、母がオリンピックのマラソンだけは見たいと言うからである。女子マラソンの始まるのが7時だから、それまでには家を出ておこうと思っていた。僕は僕の主張としてオリンピックはいっさい見ないと決めている。ところが、母がテレビをつけるとすでにマラソンを走っている。別の意味で「ありゃ~、やってしまったか」と思った。
実は、数日前、母がマラソンを見たいと言うので、僕はそのスタートを調べて教えてあげたのだ。調べると、7日の朝7時スタートだ。「7・7」で僕は覚えておいて、それを母に伝えていたのだ。だから僕が間違えたのかと思ったわけだ。7時の時点ですでにスタ
ートを切っているわけだから。
夜になって知ったことだが、女子マラソンはスタートを繰り上げたのだ。しかも前夜にそう決めたというのだ。理由はいろいろあるんだろうけれど、これのどこがアスリート・ファーストなのかと思ってしまう。実際、90人近くの女子選手が参加して、18人くらいが途中棄権したと聞く。マラソンの場数を踏んできたトップランナーたちであるはずなのに棄権してしまうのは、暑さとか気候のためだけでなく、調整が不十分だったためでもあろうと思う。いきなりスタート時間を変更されたのだからキツかっただろうと思う。
ホント、東京五輪なんかに出場した選手たちが気の毒だ。コロナ感染の危険性が高い中で競技に参加するんだから通常以上に神経を使うことだろう。おまけに海外選手はスタッフが制限されているのだから不利なことこの上ない。しかも主催者側の都合で競技時間を変更させられてしまうのだから条件はますます厳しくなるだろう。
日本はメダルラッシュだって騒いでいるけれど、海外の選手からすれば「ズルい」と思われるのではないかと思う。不公平なところがゴマンとあるからだ。それでメダルを取ったら取ったで、日本人選手は、本人は別に望んでいもいないのに首相から祝辞を受ける、市長にメダルをかじられる、ネットで誹謗中傷にさらされる、僕にとっては他人事ながら、いいことなんて何もないんじゃないかとさえ思えてくる。
おっといけない。五輪のことを書くつもりではなかったのだ。今日は別に書こうと思っていたことがあったのだ。
空き時間が生じて、その時に、アカンアカンと思いつつ、ユーチューブを開いたのだ。あれこれ検索していると小山田氏に関するものがいくつかアップされていた。これを見るまで小山田氏のことなどスッカリ忘れていたのだけれど、どういう人物なのか興味もあったので、いくつか視聴する。
そのうちの一つが僕の興味を惹いた。それは十数年前のラジオ番組で、あるミュージシャンが小山田氏のことを激しく批判しているというものだった。僕は日本の音楽をよく知らないので、批判しているミュージシャンのことも知らないのであるが、コメントを見て判断する限り、この人は非常に温厚な人柄であるそうだ。この温厚な人がここまで激しく小山田を批判しているというところが僕には気になる。
ここでこの温厚ミュージシャンが批判している内容は、ある雑誌に掲載された小山田のインタビューである。そこで小山田は他のミュージシャンたちをクソミソにけなしているという。そこでこの温厚ミュージシャンは小山田はそんなに天才なのかなどと批判するわけだ。批判の内容については、この温厚ミュージシャンの個人的な見解であるので取り上げないでおこう。
僕が気になるのは、この温厚ミュージシャンをそこまで怒らせているものは何かということである。小山田は当時すでに人気があったとは思うのだけれど、その人気者が他の同業者を見下して言っているので確かに不快であることに違いはないが、「ちょっと人気が出て思いあがっている程度だ」くらいで片付けてもいいはずである。温厚ミュージシャンの心の中で、小山田の何が侵入して掻き乱しているのか、なぜ小山田のことが他人事にならないでいるのか、彼自身、はっきり見えていないのかもしれない。
僕は思う、と言っても、本当にこれを考えようと思ったら、小山田のインタビューも読まなきゃいけないんだけれど、そこを割愛していることは念頭に置いておいてほしい。
小山田の発言は通常の意味以外の意味が暗に秘められていたのではないかと思う。小山田の言語的メッセージに対して温厚ミュージシャンは批判していたのだけれど、小山田の発言のメタメッセージが彼を怒りに駆り立てているのではないかと、僕はそう思うのだ。この温厚ミュージシャンの、いわば陰性の逆転移反応はそのように理解しないと筋が通らないような気がするのだ。
少し汚い言葉を使うことを許してほしいのだけれど、例えば次のようなことである。言語的メッセージにおいては、「俺はすごい、それに比べてお前たちはカスだ」と言っていて、同時にメタメッセージとしては、「俺がこの程度なのは、周りのお前たちがカスばかりだからだ」といったことを伝えているのかもしれないということである。
もし、小山田の発言が前者のものだけであれば、周囲の人は不快な思いはするだろう。「なんや、アイツ、偉そうに」くらいは思うだろうけれど、「あんな奴は放っておこう」と関係を切ることが可能である。
後者のようなメタメッセージを伴う場合、それは本来小山田に属している観念が一方的に周囲の人に押し付けられていることになる。小山田に属する責任や「悪」が周囲の人に付与されてしまう。こうして自分に何かが押し付けられてしまうので、周囲の人は小山田と関係を切るということができなくなる。周囲の人は自己弁護しなければならなかったり、心の中に侵入してきたメタメッセージを追放するために小山田を非難したり攻撃したりしなければならなくなる。
そして、このようなメタメッセージを生み出すことは思いのほか簡単なのである。言語的メッセージの「俺はすごい。それに比べてお前たちはカスだ」という文章のうち、「俺はすごい」の部分を発言しなければいいのである。それだけでそのようなメタメッセージが生まれる可能性がグンと高まるのである。
僕はそんなふうに考える。温厚ミュージシャンがそこまで怒るのは、小山田に対しての怒りというよりも、小山田から一方的に押し付けられてしまう「悪」に対して防御したい気持ちからではなかったかと思う。
小山田からすれば、もしこの温厚ミュージシャンの批判を聞いたとすれば、この温厚ミュージシャンの方が「悪」だと言うだろう。小山田からすれば、周囲のあらゆる人間に「悪」を見いだしてしまうかもしれないが、それは本来、小山田に属しているものであると僕は考えている。
ところで、小山田という人が本当にそのような人であるとすれば、周囲の人が激しく批判したり攻撃したりするのは却って逆効果になる。それは、いわば、小山田をして自分が正しいという思いを強化させるだけである。強烈な逆転移感情を搔き立てるのは確かだが、感情抜きで対処した方がいいのである。その他の小山田関連ユーチューブを見ても、批判者はその過ちを犯しているように感じる。こちらが感情的になったら「負け」なのだ。冷静かつ論理的に批判をしなければならないのだ。相手が押し付けてくる「悪」を受け取ってはいけないのである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)