8月3日:店長と飲む 

8月3日(金)店長と飲む 

 

 今日は定休日だ。休みだからと言って休めないのが現状だ。午前中はサイトの原稿を書いて過ごし、午後からはアルバイトに行く。その間に散髪にも行っておいた。 

 バイトが終わってからも仕事をしようと思っていたのだけれど、どうも気が乗らない。それでバイトの近所の呑み屋に行く。昨日も書いたワインバーだ。 

 そこに行くと、案の定、店長が飲んでいた。それで一緒に飲む。 

 昔はよく衝突したりとか、ケンカしたりとかあったけれど、それがこうして一緒にお酒を飲むようになるとは、僕も信じられない思いがする。店長は僕が以前よりも丸くなったと言うんだけれど、僕から見ると店長の方が以前よりも丸くなった。お互い丸くなったということか。 

 店長も僕も昔はそれだけ尖がっていたんだなと思う。当時は、僕の方は自分の人生がはっきり決まらなくて不安定だったっていうのもあるな。言い訳するのではないんだけれど、いろんなことで緊張感を覚えていたな。それに、今から考えるとよくやったなって思えるくらい、かなり無理していた。そういう無理が効く年代だったんだな。今、この年で当時と同じことをしろと言われたら、多分、できないだろうな。 

 昔の自分が恥ずかしいと思うこともある。バイトを再開してからは特に以前働いていた時代のことでそう思う。当時のことを振り返ると、恥ずかしいと思うことが多々あるのだけれど、一方で、それくらいまで思えるのはいいことだとも感じている。 

 当時は当時で、それで一生懸命だった。恥ずかしいなんて思う余裕もなかったな。そこから距離が取れているから、当時の自分を振り返ると恥ずかしいなんて思えるようになったんじゃないかって、僕はそう感じている。つまり、それが過去のこととして僕の中で位置づけられているから、そう感じるのじゃないかって、そう思う。 

 もし、その当時のことを思い出して、今でも腹が立つとしたら、それは当時のことが過去になっていなくて、現在性を維持したまま残っているっていうことだ。過去のことが過去のことになっているから、過去の自分を振り返ると恥ずかしいなんて言えるわけだ。それだけ、過去の自分との間に距離を置いて眺めることができているということでもあるわけだ。僕はこれは望ましいことだって思っている。 

 お互い、過去のことになっているから、一緒に昔話もできるというものだ。お互いに昔とは違っているのであれば、昔とは違った関係を一から築いていけばいいわけだ。それも悪いことではないな。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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