8月28日:そのまま見送る辛さ
今日は午前と夜が埋まっており、昼間に空き時間がある。日によってスケジュールが異なるというのもけっこう疲れるものだ。
昼間の空き時間に、少し外回りの作業をする。銀行に行ったり、必要なものを買いに行ったりする。
午前のクライアントは継続している人たちだ。彼らは素晴らしい。苦しい状況の中で、とてもよく生きておられる。尊敬したい気持ちだ。
夜は新規のクライアントが一人来られた。その人に継続を勧めたが、恐らく今後は来られないだろう。もし、次に会うことがあるとすれば、今よりもさらに状況が悪くなっているだろう。どうにもならなくなって、再度、起こしになられるタイプの人だ。
それはなぜかと言えば、その人はそれがまだ自分の問題でもあるということを受け入れることができていないからだ。何か他の問題にしたいのだ。自身に取り組めないのだ。それはその人の弱さかもしれないし、別の理由のためかもしれない。いずれにしても、その人の問題とその人自身との間に距離がものすごくあるという印象を受ける。
もう一つ理由がある。それはまだその人の心の中に「なんとかなるだろう」という期待が強くあるからだ。楽観的であることは時には望ましいことではあるけれど、根拠のない楽観性はいずれ崩壊するものだと思う。それに、「なんとかなるだろう」という感情自体が、その人が自分と取り組むことを避けることの表明でもある。
クライアントに強制できないのが辛い。僕から見ると、その人のように楽観的になれないし、その人の状況を見れば、楽観的に捉えることがいかに望ましくないかが分かるのだ。どうか、その人にはまた来てくれることを、僕は望んでいる。
この辺りで止めておこう。今日、この後は飲みに行きたい。酒が欲しいと感じている。クライアントが望ましくない方向に行こうとしているのに、それをそのままにして、その人を見送ることほど辛いことはない。これは人にはなかなか分かってもらえない感情だ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)