8月24日(月):過去を回想する前に
久しぶりにブログを書く感じがする。サイト原稿やその他の文章は書いていたので、ひっきりなしに書いてきたような気がする。でも、ブログは常に後回しにされる運命にあるから、結果的にブログは久しぶりとなってしまった。
今日のクライアントともお別れが近づいているな。それなりに良くなったし、僕としてはそれでもいい。また何かあったらいつでも第2ラウンドに入れるようにはしておこう。
クライアントが良くなったとか悪くなったとか、それはどこで分かるのか。それは分かるのではなく、体験されるものなのだ。その人と会っていて、以前とは違う感情が僕に生まれてきたり、以前とは違った姿が見えるようになった時、その人が変わったと僕は感じる。良い方向に変わったか悪い方向に変わったかは、その時の僕に体験されることによって決まる。
こんなふうに言うと極めて主観的な評価だと言われそうだ。確かにそういう部分もあるけれど、けっこうこれが当てになる指標なのだ。詳しく話すとたいへんな分量を打ち込まないといけないから省くけれど、その人が良くなっていく時には、肯定的な感情が僕に生まれたり、あるいはその人との疎通性が良くなったり感じられる。僕の中の、病的な部分ではなく、健康な部分が刺激されるのだ。
今日、その人が言っていたな、過去を回想すると自分にものになっていくかと。それは半分は正しいと僕は思う。
精神分析は過去の話を何度もクライアントに話させるのである。一度話したことを繰り返し話すようにクライアントは求められる。それをするのは、クライアントの体験がクライアントに受容できるようにするというためだけではない。
何度も話すのは抵抗が薄れていくからなのだ。抵抗が強い間に見えなかったことが見えるようになるからなのだ。抵抗が薄まるにつれて想起される事柄が増えたり、以前は語られなかった細部が語られるようになったりする。そうしてその体験の現実乃至は全体に迫っていくことになる。
従って、過去を回想するのはけっこうであるけれど、そこに抵抗が働き続ける限り、同じものしか見えないことになるだろうと思う。その体験は常に同じ姿でもって当人に想起されていくことになるだろうと思う。
そのため、過去を回想することには意味があるけれども、抵抗が弱くなっていく限りであるという条件がつく。
そこで、では抵抗が弱まるためには何が必要なのかという問いが生まれる。それは現在のその人がしっかりすることなのである。その過去体験がその人を圧倒するから、その想起ないし回想に抵抗が働くのである。そうであるとすれば、現在のその人がその過去体験に圧倒されないだけの強さを先に獲得していなければならないわけだ。
その過去体験が今の私を圧倒することもない、私を壊さない、そこまでその人が強くなれば、おそらくだけれど、その過去体験をありのまま見ることができるようになるのである。それがありのまま見えるようになれば、これもおそらくだけれど、その体験がこれまで思っていたのとまったく違ったものに見えるだろうし、もっと違った面が視野に入ってくるだろうと思う。
そうなると、この人はその過去体験の再編成を迫られることになる。それができるかどうかってことはまた別の話になってくるから、今日はこれくらいにしておこう。少しだけ述べておくと、その際もやはり現在のその人がしっかりしているかどうかで変わってくる。大切なのは現在のその人の状態なのである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)