8月22日(火);スマフォ
今日は定休日だけど、職場に来てパソコン作業その他をこなす。あまり大したことはできなかったが、多少とも前に進めばそれでよしとしておく。
エーリック・フロム『精神分析の危機』より、いくつかの論文を読む。あることを思い出して、たしかこの本でそれを読んだような気がするので、その確認も込めて再読する。
再読すると言っても、この本を古書店で買ったのはかなり前のことだ。これを熱心に読んだ時期から20年は経っている。内容もかなり忘れていて、はっきり言って、初読と変わらない。
あった、あった。「人間中心の計画」という論文にお目当てのものが見つかった。
企業に勤める人は、企業の向上と自分の向上という二重の努力をしなければならないと僕は思う。企業の向上は個人の向上に全て一致するわけではなく、また個人の向上はそのまま企業の向上につながるわけではない。両者の間には矛盾が生まれるからである。
この矛盾を意識して、さらにその矛盾を受け入れることができないと、職場での適応が難しくなるだろうと思う。自分と企業との間の不一致しか体験できなくなるからだ。そうではなくて、これを一致しないものとして、あるいは一致させないでおいて、双方の各々に対して努力していくことが肝要であり、それが通常のことなのだ。
次のように言うこともできる。仕事による自己実現では、自己実現全体の一部が達成されるに過ぎない。この一部分を全体にしてしまうのは好ましくないし、仕事による自己実現を回避することも不完全な自己実現しか達成されないことになる。仕事の領域においても、それ以外の領域においても、自己実現が目指される方が良いわけだ。
フロムのその論文の骨子は上記のことにあるのではないけど、そういうことが書いてあったというのは覚えている。というのは、二重の努力ができるほど僕は器用ではないから、僕には企業勤めは無理だと悟ったのを覚えている。職場の向上と自分の向上とができるだけ一致するような仕事をしたいと思ったのを覚えている。まあ、今の僕がそれを多少とも実現できているかどうかは不明であるが。
夜、帰宅すると、スマフォが置いてあった。僕のだと親は言う。僕は必要ないと言っていたのだけど、家族でまとめると安くなるとかキャッシュバックがあるとかいうことで、これを機にスマフォに変えたのだそうだ。はっきり言って、父の一存である。
前のガラケーでさえ、この一年半は全く使用していなくて、放置したままだったのに、このスマフォも同じ運命をたどることになるだろう。
少し操作してみた。それだけでウンザリした。二度と触る気になれなかった。
さて、夜は時間を空けておいたので、マカロニウエスタンを観る。今号のもう一本が未鑑賞だったので、それを観ることにする。『虹に立つガンマン』という映画だ。
無罪放免と報酬と引き換えに、権力者の息子を連れ戻すことになったガンマンの話だ。息子は盗賊団に入っているという。主人公は息子に近づき、計略を立てて、息子を強盗団から引き離すことに成功する。あとはこの息子を親元に届けるだけであるが、その道中がたいへんである。隙があれば逃げ出そうとする息子と、それを捕まえる主人公、この繰り返しである。おまけに強盗団もこの二人を追うようになる。
二人のこの道程が作品の大部分を占めており、いささか退屈を覚える場面もあった。そこが難点である。
強盗団のボスである少佐を演じたキーナン・ウィンがいい味を出している。また、この強盗団のメンバーそれぞれがユーモラスな人たちばかりで、とても悪党には見えないところがいい。と言うのは、本当の悪役が最後に明確になるからだ。本当の悪役と雰囲気が重ならないようにできている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)