8月18日(水):「臨床日誌」は移動しました
本当なら、今日と明日とで、東半分の窓掃除を行う予定であった。しかし、明日、仕事が入ったので予定変更となった次第である。明日、仕事を終えてから急いで取り掛かって、金曜日の夜までには元に戻しておかないといけない。東半分の方が大仕事なんだけれど、仕方がない、できるところまでやって、残りは年末に持ち越そう。
今日は大掃除の中休みとなった。午前中はサイト作業をやって、午後というよりは夕方からはひたすら勉強して過ごす。ほとんどそれだけで一日が終わった感じがするが、無駄にはしなかった。何かが前に進んでいないと僕は耐えられないのだ。
ブログの方で展開していた「臨床日誌」をサイト側に移動した。サイト側に新たなページを作成して、今後はそこで展開していくことにする。今日は既に公開した分を移動させた。あんまり書いていなかったと思っていたけれど、17件ほどあったのは驚きだった。そんなに書いたかいなと思った次第である。
臨床日誌は、できれば早く公開したいものを公開することにしている。サイト側のテーマに含めて書くと時間が経過してしまうのだ。今日体験したこと、そこから考えたことなどを今日のうちに書いて公開したいのである。
サイト側でも同じことをやって差支えはない。ただ、サイト側は、ブログよりも気を遣う部分がある。原稿を書いても、すぐには公開しないで、少しのあいだ手元に置いておきたい。後から修正したくなるかもしれないし、公開して悔やむということがないようにもしたいからだ。
まあ、そんなに気を使わなくてもいいと言えばいいのである。そんなに多くの人がこのサイトを閲覧しているわけでもないのだから。今、どれくらいの人が閲覧しているのか、僕は知らない。データが見れなくなったのだ。そのことで業者に文句を言わなければならないのだけれど、ずっと後回しにしている。データも今は気にしていないからだ。
俗に言う「いいね」ボタンも僕は設定しない。そんなの意味がないと思っているからだ。僕の書いたものがどれだけ「いいね」を獲得しても、それは僕個人が「いいね」と評されているわけではないのだ。そして、僕は確信しているのだけれど、閲覧者にとっては「いいね」を押してしまうと、そこで一つ「完結」するのだ。その人においてはそこで「終了」となるのだ。読んで、「いいね」を押す、後は読んだ事なんかはどうでもよくなるのだ。僕の意地悪なところは、閲覧者にいかなる「完結」も与えてはならないと考えていることである。彼らの中で常に「継続中」の何かが生まれないといけないのだ。
分かりやすく言えば、求めているものをそのまま与えて、満足させてはいけないということなのだ。満足が得られたその時点でこのサイトは見向きもされなくなる。「うん、分かった、もうええわ」ってなことになってはいけないのである。
「未完成なものは生き続ける」と言ったのは誰だったかな。僕も同感なのだ。芸術作品だけでなく、人間もそうだ。拡大解釈してHPもそうだと僕は考えている。完結してはならず、まだ続きがあるように見せかけないといけないのだ。
くだらないことを書いているな。今日は一日体を休めたので腰痛が少しましになった感じがある。これなら明日からの活動も頑張れそうである。もっとも、休めたのは体の方で、アタマの方はフル回転している。また一つ、考えてみたいテーマが生まれているのだ。それについて当分はじっくり考えてみたい。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)