8月17日:「夜中に女性と歩く夢」 

8月17日:「夜中に女性歩く夢 

 

<夢>「夜中に女性と歩く夢」 

 僕は歩いていた。周りが暗かったのできっと夜だったのだろう。川べりを歩いている。どこへ行こうとしていたのかははっきりしないけれど、職場へ行こうとしていたように思う。交差点に出た。信号があって、まっすぐ進むとそのまま川沿いに行く。左に折れると橋を渡って対岸に向かう。信号の所で待つ。向こう側にかつて付き合っていた女性がいた。僕は彼女に気付いたし、彼女も僕に気付いた。信号が変わり、僕は向こう側へと歩く。彼女と合流して、左折する。つまり、彼女と一緒に橋を渡る。 

 彼女は「こんなわたしで悪いわね」というようなことを言った。見ると、彼女は髪を染め、いささか派手な衣装を身に付けていた。それが僕と不釣り合いのように彼女は感じたのだと思い、「別にそんなの気にしなくていい」と僕は答えた。 

 それから、彼女は僕たちが別れて以来のことを話す。僕たちの間に邪魔者が入ったことを彼女は今でも許せないようだ。僕は「そんな奴、ほっとけばいいよ」と答えていたのを覚えている。そして、彼女の仕事は相変わらず忙しいようだった。朝から働いて、日によっては、昼休みも取れず、そのまま通しで仕事をし続けることもあるという。でも、悪いことばかりではなくて、先日はお客さんからご馳走になった話なんかも彼女はした。忙しい彼女に僕は嫉妬のような感情を覚えた。 

 その後、僕たちはまた付き合おうかという約束をした。それからどうなったのかは覚えていない 

 

(連想と感想) 

 何とも不思議な夢だった。登場した女性はかつての女性友達のようでもあったし、他の女性、僕とつながりのあった女性のようでもあった。おそらく混合されて形成された人格像なのだろう。 

 「夜」。無意識の世界。規律が緩む時間帯。静。私的な時間帯。そうしたものを連想する。 

 「川沿いを歩く」。流れに沿って、あるいは流れに反して歩くをイメージする。いずれにしても流れという文脈に絡み取られていることだけは確かだ。 

 「交差点」。交わるところ。方向転換できる場所。時には迷う場所。他者とすれ違ったり、行き交わったりする場所。そうしたことを連想する。僕はそこに差し掛かる。そこでこの女性と合流している。 

 「橋を渡る」。流れに沿うのでも逆らうのでもなく、対岸へと横断すること。別世界、別次元に足を踏み入れること。 

 「こんなわたしで~」。数日前からあるクライアントの語った言葉が引っかかっており、その意味を自分なりに考えている。夢の中の女性が語る言葉はそのクライアントの言葉にも通じる。ありのままの姿では受け入れてもらえないという恐れの表現。あるいは受け入れてもらうことに対する恐れ。 

 なぜかは分からないが、夢の中の僕は、彼女の言っていることが身なりのことだと知っている。あるいはそう思い込んでいる。彼女が昔と随分変わってしまったかのような感覚をどこかで覚えていたからだ。なぜ、それが外見のことであると僕に分かっていたのだろう。 

 「邪魔者」。これは父親的存在である。子供は母親を独占できない。父親が入り込んでくるからだ。そこで父親はライバルとなり、邪魔者になる。夢では、この邪魔者を無視して、密通すればいいと僕が仄めかしている。これはライバルに対して打ち勝つというより、むしろ逃避している傾向である。 

 仕事のこと。彼女がとても忙しそうなので、僕は羨ましいと感じている。現実の僕の方は、副業や雑用が増えていくばかりで、不本意な忙しさである。本業に関することであれば、今以上に忙しくなっても構わないのであるが、それ以外のことが次から次へと舞い込んでいる。この6日間、本業はお盆休みを取っており、この間に原稿書きなどをもっとしようと計画していたが、6日中、4日は日勤、2日は夜勤、その他、墓参り、お寺さんの立会いなどスケジュールが詰まっていき、本業のことがほとんど手つかずとなった。だから、彼女のように本業でそれだけ忙しく働けることが羨ましいのだ。 

 再び付き合う約束をして別れる。僕はこの女性と交際を続けるということを約束した、その場面は夢で見たのを覚えている。これはいいことだ。僕の中の関係性の部分が生きているという証拠だからだ。 

 

 夢の中で、僕と関わることになる女性の存在を僕は重視している。どういう関わりを持つか。この夢では友好的であり、相互的である。彼女の方はいささか卑屈になっている部分もあるが、割と対等でもあり、良好な関係を築いている。 

 彼女と再び交際するということは、彼女との関係が切れていないということであり、彼女を見捨てていないという感情の表れだと思う。それは言い換えれば、僕自身がそういう女性性との関係を維持したいということではないだろうか。もちろん、この夢の女性は現実の特定の女性を表しているとは言えない。むしろ、現実のいろんな女性から成り立っている女性像であり、もっと僕の内面的な要素なのだと思う。 

 彼女のファッション、外見は、およそ僕が現実に交際するような女性とは正反対である。夢の彼女は髪を染め、派手な服装をしている。この女性はある意味では激しく自己主張しているわけだ。彼女がそこまで激しく自己主張しなくてはならないのは、そこまでしない限り、僕がその存在に気付くことができていないからだ。つまり、僕は僕の中にある女性性と距離を取り過ぎてしまって、その女性性が激しく自己主張しない限り、その存在が僕の眼に留まらないという状況があるのかもしれない。僕が僕自身の中に疎外している部分があることを示唆しているようだ。 

 それが夜であることも頷ける。夜は、僕にとっては、無意識の世界であり、規律が緩み、プライベートな領域が多く占める世界である。そういう世界においてしか、彼女は姿を現さず、僕もまたその存在に気づきえないのだろう。 

 彼女と一緒に橋を渡るのは、恐らく、僕一人では流れに従うか流れに反するかのどちらかの生き方しかできないのだろう。別の要素がそこに加わらない限り、流れとは別の次元に立ち入ることができないのだろう。それが女性性であるということを教えてくれているようにも僕は感じる。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

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