8月16日:首相の言葉は願望表明

8月16日(月):首相の言葉は願望表明

 

 もう一本書いておこう。今日は掃除だけしかしていないという感覚があるので、もう少し何か残しておこうという気持ちが強まっている。

 コロナの感染拡大が脅威である。僕も近いうちに感染して、重症化して死ぬだろうと思っている。とにかく一日一日がサバイバルだ。

 ガースー首相は五輪が終わったら腑抜けになると僕は予想していたけれど、案の定だ。ただでさえ役に立たないのに、さらに抜け殻のようになっておる。日本国にとってはまことに由々しき問題である。

 首相の言動を見てると、僕はギャンブル依存者たちを思い出すことがけっこうある。僕個人は首相は分裂病だと思っているのだけれど、時々、ギャンブル依存者の方を連想してしまうのだ。

 ギャンブル依存者には「計画」という概念が無いのである。「現実」という概念も欠いている。代わりに「手段」があり、「願望」があるだけなのだ。

 彼らは経済的に困窮するようになる。そこで返済等の計画を立ててもらうことがある。というのは、そういうことをしないと僕の面接料も踏み倒されてしまう危険性が出てくるからだ。

 この支払はこの収入で払う。この支払いは来月の臨時収入で賄う。この大きな返済は年末のボーナスで処理する。そういうことを彼らは言うわけだ。これは「計画」とは言えないのである。この支払いはこの「手段」で処理すると言っているに過ぎない。それができる「手段」が羅列されているだけなのだ。

 そして、もし来月の臨時収入が入らなかったり遅れたりした場合はどうするのか、年末のボーナスが予想よりも少なかった場合はどうするのかなどと僕が尋ねると、彼らの中には改めてビックリする人もある。そんな事態を考えていないのである。そうなると、これは計画というよりも「願望」に近いものであるように思えてくる。これは来月の臨時収入で支払えたらいいなあ、この大口のやつは年末のボーナスで処理できればいいなあ、といった内容のものでしかないように思われてくるのだ。

 もちろん「願望」も大切である。「手段」も講じておくに越したことはない。重要なことは、それらと現実との解離である。「計画」とはこの解離を埋めていく作業なのである。ところが、彼らときたら、あたかもこう願望したら、その願望がそのまま自動的に苦もなく実現されると信じているかのようである。手段さえ持っていたら後は自動的にことが処理されると信じているかのようである。

 僕にはそれが「魔術的思考」のように思えてくるのだ。自分がそう願っているのだから、自動的にそうなるという、その思考はあまりに「魔術的」なのである。

 ガースー首相の言葉も僕はそのようなものとして聞くことにしている。例えば「10月には国民の8割がワクチン接種を済ませる」と言ったとすれば、それは「そうなったらいいなあ」という意味であると僕は受け取る。「五輪を開催したら国民の気分が変わる」というのも、五輪で国民の気分が変わったらいいなあという願望の表明でしかない。現実には五輪前からそれに反する見解が飛び交っていたのである。「二週間で感染を減らす」というような発言も、「これが二週間で減ってくれたらいいなあ」という願望表明である。そのように受け取らないと、こちらもやってられなくなる。真面目に受け取ると振り回されるだけである。

 コロナに五輪に政府と、国民にとってはどれもが大打撃である。コロナに感染して亡くなった人の方が幸せに感じられてくるのは僕だけだろうか。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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