7月31日:「女性と一緒に寝る夢」

7月31日(火):「女性と一緒に寝る夢」

 また未知の女性が夢に登場した。その夢を記録しておこう。

(夢)「女性と一緒に寝る夢」

 夜だった。僕は通りを歩いている。夜なのにやたらと人が多かった。僕は何も言わなかったけど、それがちょっと不快だと感じた。

 家に帰る。親戚一同が集まっている。ここで僕は怒って「みんな早く帰れ」と怒鳴ってしまった。みんな去っていく。

 僕は寝室に入る。二つ布団が並べてあって、一方には女性と子供が寝ている。子供が僕の布団の方まで寝転がってきているので、僕はその子をそっと女性の布団へ戻す。この子は5,6歳くらいだろうか、男の子だった。

 僕は僕の布団にもぐりこみ、横になる。すると彼女が「昔は仲が良かったのにね」と僕に呟いた。僕は「そうだったなあ」と思う。僕は彼女の布団に入り込む。彼女は子供を向こう側に寝かせる。「川」の字の真ん中に彼女が位置することになった。僕たちはそのまま一緒に寝た。

(連想と感想)

 夜。闇の世界だ。この闇の世界で人々が賑やかにしている。無意識というか、心の深層で騒ぎ立てるものが僕にはある。これは一部ではエネルギーになるけど、その他の面においては、僕を困らせる。

 家に帰っても賑やかさは同じ。僕は他者を追い出す。身内であっても、その場から追い出す。僕の中から閉め出されているものがある、もしくは締め出したいと願っているものがあるのだろうか。

 この女性と僕とがどういう関係であったのかは夢では示されていなかったように思う。夫婦であったのか、知り合いであったのか、血縁の人であったのか、不明である。他のみんなは起きているのに、彼女と子供だけが眠っていたことになる。対称的な感じがする。

 子供も同じで、僕の子供なのかどうかも不明である。この子は男の子だったようだ。5,6歳くらいと思われる。言い換えると、5,6年前に僕の中で生まれた何かである。

 昔は仲が良かったねと彼女が言う。僕はそうだったなあと思う。彼女は僕の過去を思い出させようとしている。きっと、それが5,6年前のことだ。

 僕が最初に思い出したのは女性友達だった。別れてから7年近く経つ。女性友達だった人そのものは重要ではなく、その当時に僕の中で生まれたものが重要だと思っている。夢ではそれが子供の形をとっているように思う。

 もう一つ思うのは、女性性というか女性原理ということだった。僕は自分ではあまり男性的ではないと思っているのだけど、それではいけないと感じることが多々ある。もっと男性原理で生きなければと思う。そうでなければ生きていけないように感じてしまう。最近、やはり男性原理に従い過ぎているかもしれない。ユングによれば、男性があまりに男性原理に徹すると、それを補償するかのように、夢に女性が現れるということを言っているが、それが正しいと思うことがある。

 男性原理が強くなると、考え方とかが厳しくなってしまう。自他に対しても厳しくなってしまう。もちろん、厳しいということが悪いとは思わないのだけど、極端になるとやはりよろしくないように思う。女性原理とも一緒になれなければならないのかもしれない。

 男性原理と女性原理の結晶が子供であるかもしれない。男と女から生まれる子供は両性の結合を表しているのではないだろうか。仮に、僕の中でこの結合体が存在しているとしても、それはまだ5,6歳の子供であって、十分に成熟していないということになるかもしれない。

 夢を逆から読もう。僕は僕の中の女性性と一緒にならなければならない。その目的は新たな結合である。しかし、それは僕の中にまったくないわけでもなく、ただ、5,6年しかそれが生きていないのだ。

 この結合を生み出すには、あるいはもっと促進するには、騒がしい人たちを追い出さなければならないようだ。集合的な部分であったり、無意識的な部分、深層の部分において、僕を騒ぎ立てるものを追い出し、鎮める必要があるのかもしれない。この女性と一緒になるのは、騒がしい部屋ではなく、静かな寝室であるからだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

関連記事

PAGE TOP