7月24日(月):オリンピック被害
2020年の東京オリンピック会場の建設作業員が過労のため自殺したと報じられた。23歳の若い男性で現場監督を任されていたという。その若さで現場監督を任されているというところにも問題があるのだけど、過酷な労働条件の方が要因が深いと思う。僕は東京オリンピックに反対している一人であるが、恐れていたことがついに起こるべくして起こったといった感じがしないでもない。
労働条件を過酷にした責任はどこにあるのだろう。会場に関しては、現在ある施設を活用するという意見もあった。でも、これを排斥して、新たな施設を建設するということに決まった時から、こうした問題が生じる可能性が生まれていたと思う。誰もそこを考えていなかったのかもしれない。
尚且つ、新競技場のデザインを巡って、案が二転三転し、なかなか決定しなかった。決定が遅れるということは、それだけ建設の着工が遅れるということだ。でも、オリンピックの開催日は送らせるわけにはいかないのだ。そのしわ寄せがすべて現場作業員に押し付けられるわけだ。上の人間が能無しだと、下の人間にすべてしわ寄せがくることになるのだ。
とにかく、自殺した男性は東京オリンピック被害者の第1号だと僕は捉えている。この先、何人こういう被害者が現れることやら、わかったものではない。
1964年の東京オリンピックは戦後の復興を世界に示す意味合いがあったように僕は思う。戦後20年足らずで日本はここまで復興を成し遂げたということを世界に見てもらうという意味合いがあったように思うわけだ。
今回、2020年の東京オリンピックは、日本にはまだこれだけの力があるという示威的な意味合いを僕は感じている。
1964年が復活なら、2020年は死に際である。
僕は2020年の東京オリンピックが恐ろしい。日本の破滅をもたらすかもしれないと、そう思っている。
日本人が一丸となってオリンピックを成功させようと謳うのであれば、僕はその一丸から降りさせてもらう。僕は一切、オリンピックに関わらない。当然、テレビも見ないし、イベントごとの類にも参加しない。23歳の現場作業員もすでに一丸から離脱したのだ。僕は彼とは違ったやり方で離脱を表明する。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)