7月22日:安全・安心詐欺

7月22日(木):安全・安心詐欺

 

 世間では今日から四連休だ。全然ありがたくない連休である。特にこの4日間の予約変更の程度がひどい。今日も仕事が飛んでしまった。連休なんかではよくあることなのだけれど、これがオリンピックを前提にした連休であるというのが腹立たしい。

 そのオリンピックとやらも明日が開会式であるそうだ。僕にはどうでもいい。ただ、いろんなニュースが耳に入って来るからやかましい。

 案の定、招待選手に感染者が現れているようだ。彼らはワクチン接種を済ませているだろうから重症化には至らないとは思うのだけれど、大会のために日本にきて、そこで感染が判明して大会に出場できなくなったとしたらどうなるのだろうか。彼らは感染しに日本に来たようなものだ。

 こういうのが気の毒だと僕は思う。日本人が日本国内で感染する分にはまだいい。わざわざ外国から日本に招待して感染させてしまうとなれば、それこそ日本なんかに来るんじゃなかったという気持ちにもなるだろう。日本はどんな責任を負わされてしまうことだろう。

 もともと、安全でも安心でもない国なのに、安全安心を訴え続けてきたのだ。これは詐欺に等しい。詐欺を働くところほど自分たちが安全安心であることをアピールするものである。疚しいことなんかまったくありませんということを訴えるのである。まさにオリンピック詐欺である。僕は海外の人たちを気の毒に思う。この状況で日本人が五輪やメダルラッシュに熱狂できるとすれば、僕は日本人の「常識」を疑う。その気の毒な人たちを切り捨てた上での熱狂であるからだ。

 

 IOCのバッハ会長をはじめ、彼らは五輪貴族などと言われている。世界規模の大会を開催するのだから並大抵の仕事ではないだろうことは僕も認めたいのであるが、彼らが貴族主義と言われるのは、彼らが開催国に求める要求のためである。

 考えようによっては、五輪は特別な大会であることを示すために、あるいはその特別な意味合いを維持するために、彼らは特別扱いを求めるのかもしれない。大会が特別であるということは、大会を運営する人たちを特別にすることで表わされることになる。そうだとしても、僕には非常に古臭い考え方のようにも思えてくる。

 彼らは開催国から迎賓としてもてなしを受けることになる。それはいい。その国のもてなしをそのまま受け入れたらどうだとも言いたくなる。どういうもてなしをするかまで指示されるのは、開催国としてはたまったものではない。旧約聖書の律法書のようになるのはどうかとも思う。

 

 さて、東京五輪に関わる人間にロクなのはいない。これは先日書いたことだ。「呪われた五輪」などと言われることもあるけれど、何も「呪われて」なんかいないのだ。類は友を呼んでいるだけなのだ。この「類友」を辿っていくと、アベにたどり着くのだろう。五輪に限らず、アベの周りには「類友」が集まっているだけであって、「忖度」すら本当は存在しないのかもしれない。そして、この「類友」だけが生き残る世界を彼らは拵えているのだ。

 いやホント、そういう気になる。西村の飲食店迫害発言なんかはその典型だ。彼らだけが生き、彼らに従う者は彼らの恩寵の下で生かしてもらえて、彼らに従わない者に対しては制裁が加えられ、生きていけないようにさせられてしまう。もはや日本はマトモな国じゃない。

 

 アカン、こんなことを言っているとキリがない。この辺で止めておこう。でも、最後にもう一つ。

 五輪が始まれば国民は熱狂するだろうと政府は高を括っている。政府の目論見を実現させないためには、僕たち一人一人が五輪で盛り上がってはいけないのだ。五輪なんて無視しよう。テレビで放映されていても決して見ない。ニュースで五輪ネタが取り上げられれば即座にスイッチを切る。友人や家族との間でも五輪は話題にしない。

 彼らの思惑を実現させてしまうことは、彼らの詐欺行為の共犯者になることなのだ。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

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