7月2日(水):集団的自衛権
(集団的自衛権)
昨日、集団的自衛権が容認された。僕はそれに賛成しないが、容認されるだろうということは明らかだった。首相の思惑がそのまま通用してしまう政治なのだ。
それで、集団的自衛権に反対している人たちが首相官邸に集まってデモ抗議をしているそうだ。気持ちは分かるけれど、あまりその行為に期待できない。
もし、仮に、デモ抗議している人の誰かが首相官邸に火炎瓶でも投げてごらんなさい。これは集団的自衛権の正当性を証明してしまう行為だ。
僕だったら、自分の家族と友人たち、そしてその子供たちを自衛隊には絶対に入らせないという方法を取る。集団的自衛権を行使したくても、容易に行使できない状況を作る方に専念する。デモ抗議をしたり、暴動を起こしたりするよりも、僕はそちらの方が大切だと思う。
確かに平和が維持できないのは一国だけの問題ではないとは思う。それならば、せめてスイスのような中立国の立場を目指していければいいと思うのだが。
いつか、日本は戦場に加担するようになる。「戦争をする」とはっきり言ってもいいことだ。そこで駆り出されるのは若い人たちだ。この法案を容認した人たちが前線に出ることはないのだから、いい気なものだ。戦争とは常にそういうものだ。
今、10時前。朝一番のクライアントを待っている間に書いている。今日は水曜日のレギュラーのクライアントに、木曜日のクライアントも二人来られるので、けっこうな忙しさだ。
その代り、明日が少なくなっているのだが。全体の数が増えてくれないと困るのだけれど、曜日がイレギュラーになった場合にも対応できるようにしておかなければならないと思う。この辺りはジレンマがある。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
人間は戦争をしてしまう宿命にある。僕はそう思う。しかし、戦争をしてしまうかどうかは、僕たち一人一人にかかっている。戦争の背景には、必ず憎悪とか恐怖が潜んでいるものである。
(平成29年1月)