7月15日:アベ国葬?マジかよ!

7月15日:アベ国葬? マジかよ!

 

 射殺された安倍元首相の葬儀を国葬で執り行うというニュースを聞いた。

 マジかよ!と思った。

 いや、今のは正確ではないな。最初は自分の耳が信じられず、茫然自失の状態があった。その後で、それマジで言ってるんかいな、と思ったのだ。

 

 国葬なんて、よほど重要な人物に対して行われるものだ。アベにその資格があるのか。世界的な貢献でもしたというのか。国民全員に何か恩恵をもたらしたとでも言うのか。

 それに、その国葬ためにどれだけの税金が投入されるだろうか。外国から要人を迎賓することも考えられるのであるが、どれだけの税金をそこに費やすつもりなのか。

 だから自民党なんかは当選させてはいけないのだ。税金を自分たちのために使うからである。誰もアベの国葬なんて望んでいないのだ。国民からそういう声が上がったわけでもないだろう。自分たちの目的で国葬すると言い出しているだけではないのか。

 まったく狂気の沙汰である。

 

 集団(それは国家にしろ軍隊にしろ、あるいは企業なんかにしろ)は落ち目になると英雄を作り出すものである。ダメになるほど英雄的存在を必要とするものなのだ。自分たちにはこの英雄がいると信じることでかろうじてやっていけるわけだが、それは虚構に過ぎないのである。虎の威を借りるだけのことなのだ。

 個人の場合にもそれがある。ある人(それはアイドルであったりカリスマ経営者などであったりするが)を、好きだとかファンだとかいうのを通り越して、過剰なまでに崇拝するようになる。僕の経験している範囲では、こういう人は非常に脆いのである。偶像崇拝することでその脆さを補償しているわけだ。

 この人からその英雄を取っ払ってみなさい。この人の脆弱さがもろに露呈されるものである。だから50代のオッサンが10代の女性アイドルに熱を上げていて、周囲からはキショイと評価されていても、妻は夫のその趣味を剥奪してはいけないのである。

 危ないところだ、この夫婦の話に焦点が移ってしまうところだった。ともかく、偶像崇拝とか、一個人を過剰に英雄視することは、その人(または集団)の中で非常に危険な何かが起きていると考えられるということである。

 アベ国葬の場合、自民党内で危険が起きているということになるのだけれど、国民がそれに乗っかるとしたら、むしろ僕たち国民の方が危険な状態にあるとみなした方が良い。僕はそう思う。

 だから、アベ国葬が自民党内だけの狂言であってほしいと願っているのである。

 それでも税金の無駄使いであることに変わりはないのであるが。

 

 

 国民の無関心のおかげで長期政権が実現できただけのこと。実績が何かあるわけではない。むしろ損失の方が大きかった政権だったと僕は思っている。この首相に国葬なんて、これを考えた人物の常識を僕は疑う。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

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