7月10日(火):火曜定休日
この一週間はミョーにキツかった。
忙しさはそれほどでもなかったのだけど。どうやら、足の不具合が堪えているように思う。痛む足をかばうと、変な体力を使い、体力の消耗の仕方もなんか変だ。それに、その負担が腰にもきてる。いずれ腰痛がひどくなるだろう。
今日も痛みはあるが、今のところ、鎮痛剤なしでやっていけている。歩行はぎこちないが、耐えられないことはない。まあ、今日は休むことにする。
午前中は横になって過ごす。あまり足を使わないようにしよう。
しかしながら、横になっていても、することもなく、ぼんやりしているとやたらと心配事ばかりが頭に浮かんでくる。あれもせなアカン、これもせなアカンなんてものが目白押しである。その上、もっとあれしといたらよかっただの、もっとこれ頑張っとくべきやったわなど、過去のことも押し寄せてくる。
ちっとも休めず。午後からは活動を開始する。
家のこと、身辺整理のことを少しだけやって、買い物に出る。近所のスーパーでインスタントラーメンが特売していたので、買っておく。これで次の一週間分の昼食は確保できた。
その後、近所を一周する。歩けないことはないけど、やはり片方の足をかばっているのが分かる。少しくらいなら問題はないけど、これを長時間続けると、どこかに影響が出る。そう思うと、早目に切り上げる方がよさそうだと思った。
帰宅後は、映画DVDを観る。
ナチスの強制収用所に関するドキュメンタリー映画である。これは気の弱い人とか心臓の弱い人とかはあまり見ない方がいい映画である。すごくショッキングである。でも、それもまた人類の真実の一つなのだ。忘却させてはいけない記憶であり、遺産である。もっとも、負の遺産、負の記憶であることは紛れもない事実であるが。
戦争とは何かと問われれば、僕は「生命の蕩尽だ」と答える。人類の歴史は戦争の連続であった。言い換えれば、生命が蕩尽されることが普通だと言えるような歴史である。その蕩尽は、戦場よりも、収容所や市街地の方が顕著である。
骨と皮だけというような死体の山。身元も分からず、年齢も分からず、生まれてきた意味もなく死に追いやられるだけのような最期、声を上げることなく苦悶の表情を浮かべたまま死に絶える。こんな映像がいくつも流れる。
僕は恐ろしい。これが自然災害などではなく、人為的になされているからだ。命の重みも個人の尊厳も皆無の世界だ。自分があの死体の山の一人であったかもしれない。そう思うと、こうして生きているのが不思議なくらい恵まれていることのように思えてくる。
さて、凄惨なドキュメンタリーの後は気分転換をしよう。ということで、スカッとするような映画をチョイスする。今日はマカロニではなく、007だ。「オクトパシー」に決める。この作品はQの出番が多いので、まさにその理由だけで、僕の好きな007作品となっている。いつかこの映画のことも書いてみたいな。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)