6月9日(金):キネマ館~『パルプ・フィクション』
クエンティン・タランティーノ監督はどうも苦手だ。『キル・ビル』も観たけど、少しもいいとは思えなかった。タランティーノ監督でいいのは音楽だけ、というのが僕の中での評価だ。
本作も鑑賞するつもりはなかったのだけれど、高評価している人がいて、それで少しばかり観てみようかという気になったのだ。
映画はレストランで一組の男女が話しているシーンから始まる。パンプキンとハニー・バニーだ。彼らは急遽、このレストランを襲うことを決め、ピストルを手に恫喝する。その瞬間、あのテーマ曲が流れる。このくだりはグッとくるものがある。
このテーマ音楽はよく流行ったように記憶している。疾走感があって、ラテン音楽のようなノリと情熱が感じられる。名曲だ。そう、音楽だけはいいんだな。
さて、この映画は複数のエピソードから成る。時間継起順に並べ替えると次のようになるだろうか。
まず、ジュールスとヴィンセントの二人が車で仕事に向かう。ボスであるマーセルスの金を横取りした疑いのある若者4人を襲う。
3人は殺され、1人は連行されるのだが、拳銃の暴発のために自動車内で4人目が死んでしまう。ジュールスは友人であるジムに連絡して、さらにウルフに処理を任せる。
その後、ジュールスとヴィンセントはレストランに入る。ジュールスはこの仕事をやったら足を洗うつもりだと言う。ここでパンプキンとハニー・バニーの二人がこのレストランで強盗を働く。ジュールスはマーセルスの金だけは守る。
ジュールスとヴィンセントの二人は金をマーセルスに渡しに行く。あるバーでマーセルスと会うのであるが、そこでマーセルスはボクサーのブッチに八百長を持ちかけている最中だった。ブッチは金のためにそれを引き受ける。ちなみに、ここでジュールスの出番は終わりである。
ヴィンセントはマーセルスの頼みで一晩彼の妻のお相手をすることになる。ヴィンセントは極上のドラッグを購入して、ボスの妻であるミアを訪れる。ミアの行きつけのパブに行き、ツイストコンテストで優勝する。帰宅したミアはドラッグの過剰吸引で意識不明となる。ヴィンセントは必死になってミアを救助する。
それから幾日か後だろう、ブッチの試合がある。選手の控室にてヴィンセントとミアが顔を合わす。ここにジュールスがいないのは足を洗ったからだ。
ブッチは、八百長で5ラウンド目で負ける筋書きだったが、勝ってしまう。相手選手も命を落としたらしい。マフィアから狙われることを見込んで、ブッチは逃走し、愛人が身を潜めているホテルまでタクシーを走らせる。
翌朝、愛人が彼の大切にしている時計を持ち出していないことに気づき、ブッチは大いに荒れる。祖父の代からの形見の時計だ。まだアパートにあるはずだ。マフィアが待ち伏せしている危険性があるが、彼はどうしてもそれを置いて逃げるわけにはいかず、単身、昨日まで住んでいたアパートに戻る。マフィアはすでに待ち伏せしていたが、油断していたヴィンセントはブッチに射殺されてしまう。
アパートから逃げるブッチ。なんという偶然か。通りを横切るマーセルスと目が合ってしまうのである。逃げるブッチと追うマーセルス。とあるバイク店に逃げ込んだブッチ。そこでマーセルスを抑え込むが、そこの店主が介入してくる。
その店の地下にて縛られているブッチとマーセルス。店主のほかに警官ゼットが来ている。二人はマーセルスだけを別室に入れる。ブッチは拘束を解いて、逃げようとするが、思いとどまり、マーセルスを助ける。ブッチは助かることになる。
ブッチは愛人と一緒にどこか別天地に向かってバイクを走らせる。
さて、こうして物語を時間順に並べなおしてみると、本作のストーリーにはどこか中心を欠いている感じが明確になる。どこか芯が通っていない感じがする。誰が主人公であるのか、悪役が誰であるのかも、明瞭ではない。その不明瞭感に本作の良さを僕は感じるのだ。
同じことはそれぞれの登場人物にも言えそうである。例えばジュールスが4人の若者を始末しに行くシーンを見てみよう。
彼らは車で向かう。今から殺しに行くという雰囲気がまるでなく、ジュールスはヴィンセントとごく普通の会話をする。
彼らのアパートを訪れるジュールスたち。丁寧で、友好的な態度だ。同じ仕事仲間という触れ込みだ。そして、若者の名前を当てたり、クイズなどを出したりして親しさを見せる。
若者は朝食の最中で、ハンバーガーを食している。ジュールスは一口味見させてくれと頼む。承諾する若者。彼はがっつり他人のハンバーガーを食し、とても美味いなどと評する。加えて、食べたハンバーガーを胃に流し込みたいからと、若者のスプライトも飲む。ほとんど空になるほどがっつり飲む。友好的でありながら、少しずつ嫌がらせが入り込んでいる。
若者が何か言おうとすると、ジュールスはベットに寝そべっている若者をいきなり撃つ。怯える若者に話の続きを迫るジュールス。怯えて何も言えない若者をさらに畳みかけるように詰問していくジュールス。そして、この場にふさわしい聖書の一句があると言って、それを暗唱する。その一句を暗唱し終えると彼は若者を撃つ。人を殺す前に必ずこの一説を唱えるそうなので、ジュールスにとっては一つの儀式になっているようだ。
このシーンのジュールスがすごいのは、観ていて、次の言動の予測がつかないところである。何をしでかすか分からない危なかしさがあるわけだが、行動の予測がつかないということは、端的に言えば、その人物にパーソナリティが無いことを表しているわけであり、限りなくサイコパス的なのである。
何をしでかすか予測がつかない感じというのは、ミアにも感じられる。ヴィンセントを連れまわし、ツイストコンテストにいきなり出場したり、あるいは、意味もなくヴィンセントを待たせたり、そうかと思うとドラッグを過剰摂取したりと、かなりお騒がせな人物だ。
冒頭のパンプキンとハニー・バニーにもそれが言えるだろうか。彼らはそこで強盗を働く意図など最初はなかったのだ。話の流れで、半ば行きずりの形で衝動的に強盗を働くのである。無計画もいいところである。
他の登場人物たちもそうだ。急に怒りだしたり、あるいはこちらの予想していないような行動を取ったりする。自分の中に中心を持たない人間の集まりのように僕には見えてしまうのだ。
しかし、そんな中心欠如の人間たちも、人には隠しておきたいことだけはあるようで、それを秘密にするためにはいくらでも譲歩するところがあるようだ。ミアが意識不明になったことも、マーセルスが警官のゼットからカマを掘られてしまったことも、秘密にしておいてくれと頼む。一方で、マフィアの金を隠した若者たちは、秘密が暴露したために殺されてしまうのだ。この容赦のない感じが本作に独特の雰囲気をもたらしているのかもしれない。
タランティーノ監督は音楽だけはいい。60年代から70年代の音楽がふんだんに使用されているのもいい。ダスティ・スプリングフィールドの「サン・オブ・ア・プリーチャー・マン」など、選曲とその使い方がいいなと思う。
あと、パブのシーンも独特だ。エド・サリバンみたいなのが店主で、マリリン・モンロー、バディ・ホリーも登場する。ヴィンセントとすれ違った赤いジャンパーはジェームズ・ディーンみたいだし、50年代、60年代のレトロ感が満載だ。これも監督の趣味だろうか。
また、タランティーノ監督は自分の好きな映画のパロディを自作に持ち込む傾向があるようだ。ブッチとマーセルスがバイク屋に拉致されるシーンなど、もろ『悪魔のいけにえ』じゃないかと思う。ただ、ブッチは、チェーンソーではなく、刀を振り回すのだが。
監督はともかくとして、本作は多彩な俳優陣が顔をそろえている。
ジュールスをサミュエル・L・ジャクソンが演じる。ジュールスは自分の中心欠如を儀式などで補うタイプかもしれない。一応、思想らしきものもある。
彼の相棒のヴィンセントをジョン・トラボルタが演じる。ツイストを踊るシーンなんて、『サタデー・ナイト・フィーバー』のパロディかと思ってしまう。ヴィンセントは深い思想を持っているようではなく、快楽のために生きるような人物だ。
ミアを演じるのはユマ・サーマンだ。タランティーノ監督作品の常連女優さんだ。男に従うのではなく、また男と対等であろうとするだけでなく、男に指図する女だ。雰囲気はすごくいいけど、付き合うと疲弊してしまうタイプの女だ。
パンプキンとハニー・バニーのコンビもいい。パンプキンをティム・ロスが演じるのだけれど、頭の足りないチンピラ風情のキャラを上手に演じているものだ。ハニーの方はアマンダ・プラマーが演じる。クリストファー・プラマーの娘さんだそうだ。なんとなく顔が似てるかな。こちらも少し考えが足りない感じの軽い女を演じていて、なんかいいコンビだと思ってしまったのは僕だけだろうか。
ブッチを演じるのはブルース・ウィリスだ。老いに差し掛かったボクサー役だ。八百長試合をするはずだった。自分の意志でそれに反したのだが、映画はその場面を描かない。明確な意志を持つ人間のシーンは排除されているように僕は思う。すべてが行きずりのようなもので、偶然的であり、突発的であり、衝動的である。90年代にこの映画が受けたということは、それが当時の僕たちのパーソナリティに親和性があるからだろうとも思う。この頃から人間はおかしくなっていたのだなと、本作を鑑賞して改めてそう思う。
その他の登場人物についても書きたいけれど、一人一人を書くとたいへんなのでこの辺りで止しておこう。ブッチの愛人のシュガーは、男に従順でありながら、男を従わせたり、肝心なところで男の期待を裏切ったりするようだ。こういう人を見ると、イドか超自我かに支配されただけの人物、つまり自我が機能していない人物を僕は連想してしまう。そして、麻薬販売人の女、ピアスだらけの女も案外同じような傾向を持っているかもしれないなどとも思った。
まあ、何はともあれ、本作はそれなりに良かった。これをきっかけにその他のタランティーノ作品も観ようかという気持ちにはなっていないけれど。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)