6月8日:恐ろしい話

6月8日(火):恐ろしい話

 

 今日は定休日なので休む。やることはたくさんあるけれど、休みの時は休む。そう決めている。

 

 午前中は歩きに出る。一応、宣言下なので、不要不急の外出は控えないといけないんだけれど、健康のために歩く分には許してもらえるだろう。それに、外出している間、誰とも会うことなく、誰とも言葉を交わさなかった。独りで黙々と歩いていた。

 道中、少しだけ買い物をした。その後、パチンコ屋でタバコ休憩だ。どこかで昼食をと思ったけれど、お店まで行くのが億劫に感じられて、そこで帰宅。

 午後からは、映画を一本観て、本を読み、ゆっくりと過ごす。こういうのもたまにはいいものだと思う反面、こういう日は一日でも耐えられないといった気持ちも生まれる。

 

 両親はワクチン接種を済ましている。なんとなくありがたい。僕が感染していても、両親は助かる可能性が大きいからだ。ワクチンも完璧ではないとは言え、重症化を防ぐらしいので、家の中で神経を使うことが減ってきたようだ。家でくつろぐこともできそうだ。

 

 そのワクチン接種もいろんなトラブルが方々で起きているようだ。同じ注射器を使ってしまったとか、ワクチンの消費量と接種者数とが一致しないとか。要はガースーが急かすからである。オリンピックのために。

 オリンピックは反対であるが、オリンピックがなければワクチン接種も遅々として進まなかったかもしれない。そういう意味では良い面もあるけれど、その代わり、こうも急かされることになるとは、医療従事者も自治体もたいへんだ。

 オリンピックなんてどうでもいい。問題は宣言が解除されるかだ。今月の解除が予定されているけれど、これも延期になるのではないかと思う。第4波のピークは過ぎたかもしれない。でも、第5波に備えて宣言延長ということもあり得るように思う。まだまだ終わりは見えないし、本当の悲劇はまだ来ていないのかもしれない。

 

 オリンピックは開催される。恐ろしいことだ。国民がどれだけ反対しようと、国民の声など聞き入れない政府だ。何が何でも開催するだろう。これは決定していることなのだ。恐ろしいことである。あとは、五輪後の悲劇に僕たちは備えることにしよう。

 今の政府、五輪が終わると腑抜けのようになるかもしれないな。五輪後もコロナ対策をやっていかないといけないのに、そういうことができるだろうかと訝しく思えてくる。これまでのコロナ対策も五輪を前提にしたものであるだけに、その前提がなくなった後にどうなるかは、ホント、想像もしたくないくらい恐ろしい。

 スポンサー企業も大ダメージだろう。僕は五輪のマークのついている商品は買わない。アサヒのスーパードライも当分は買わない。間接的にでも五輪に協賛するのがイヤだ。

 決して安全・安心の大会にはならない。五輪後、政府が五輪は成功だったと報じても、僕は信じない。不都合なデータはいくらでも改竄できる立場にあるのだから、どれだけ安全な大会であったか、後からなんぼでも数字をいじくることができるのだ。

 怖いのは、国内の感染よりも、海外から招待した人たちに感染させてしまうことだ。彼らが帰国して、自国で感染拡大させてしまうかもしれない。そうなると、日本はどれだけの責任を負わされることになるのか。恐ろしい話である。その恐ろしいことを敢えてやろうとしているのだから、政府はもっと恐ろしい。

 どんなホラー映画よりも政府の方が恐ろしい、そう見えてしまう。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

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