6月5日:書架より~『民間精神病院物語』

6月5日(火):書架より『民間精神病院物語』(谷口憲郎 著)

 昭和45年、「ルポ精神病棟」を皮切りに、精神病院における不祥事弾圧の風潮が高まった。マスコミも患者も病院を告発する。そのような世相において、日本精神病院協会は、「精神病院ありかた委員会」を結成し、再度、病院のありかたを問い直した。本書は、「ありかた委員会」の会長を務めた医師の手になる本である。二年間にわたる委員会での討論を下敷きにして、編纂されたものである。

 著者の主張は、マスコミや世論は医師のモラル低下を指摘するが、本当に問題にしなければならないのは、医師と患者の間にあるモラルであるとしている。この両者の間で形成される関係が問題として取り上げられなければならないということだが、僕もそれには賛成である。マスコミであるとか、世論、風評、あるいは口コミであるとか、そういうものがいかにこの関係に影響するかということは、僕自身、経験上、よく知っているつもりではある。一つ、病院や臨床家の不祥事が発覚すると、それに大きく影響されるクライアントたちがいるということだ。

 僕の見解はさておき、医師の側にも、医師をひずませる要因があると著者は指摘している(第2章)。それは、医師になるために設定されている制度であり、それにかかる経済的要因、医師の多忙さ、加えて保険制度である。これを見ると、臨床そのものが医師をひずませる要因ではないということが伺われる。医師個人ではなく、その外側の諸要因がその医師をひずませるということになるようだ。

 しかしながら、「ルポ精神病棟」がこの告発を引き起こしたのではなく、すでに下地ができていたという感じがする。東大の学生紛争もすでにこの問題を孕んでいる。現行の医師制度におけるひずみがすでに現れていたのだ。

 以後、著者が述べるように、医師を批判、攻撃することは容易である。精神科の場合、精神療法の方法論の中に人権侵害スレスレの行為があるために、一層、容易である。心の病に関わる臨床家は常にそのことを意識しておかなければならないと僕は改めて思った。

 精神科医療には多くの矛盾点があると筆者は指摘する。その通りだという気がする。他の科に比べて、制度も異なれば、偏見の有無も異なる。精神病者処遇の歴史にもまた独特なものがある。社会の風潮と実情の差異もあれば、世間一般の認識と精神科医の常識との間にも差異がある。そうした矛盾や差異について、改めて考えさせられた本だ。

 戦前・戦後にかけて、精神医学というのは人気がなく、精神科医のなり手が少なかったという。昭和29年にその転換点が来たようだ。一つは精神病公費負担制度が確立されたこと、もう一つは精神安定剤の導入により精神病者が治療の対象となり得ると期待されたことにより、精神科医が「儲かる商売」と思われるようになったこと。事実、翌年、昭和30年から精神病院が爆発的に増加したという。その時期には、他科の医師が精神科医に転向した例も多いそうだ。にわか精神科医が精神病院の看板を掲げた例もあるのだろう。

 以後、日本の精神病院は、公立の病院を除いて、医師不足、看護士不足、低賃金を強いられる民間精神病院が多数生まれることになった。

 おそらく、そうした背景から生まれる歪みが、ついに昭和45年の「ルポ精神病棟」で暴かれることになった不祥事件に発展したのだろう。

 そう、精神病院はそれほど儲からないのだ。著者の指摘するように「正しい精神医療をすればするほど、経営は苦しくなるという矛盾に(精神病院は)直面しているのである」(p208)という事態に陥るのだ。それでも利益を上げなければならないとすれば、どうしても金儲け主義にならざるを得ないのだろう。それが不祥事の導火線となってしまうようだ。

 興味深いのは、不祥事を起こした病院の院長の中には優秀な医師もいるという点だ。医師としては優秀でも、体制の中では優秀さが発揮できなくなるのかもしれない。全体が悪い環境であれば、優秀な医師も悪くなってしまうのかもしれない。

 また、マスコミの報道が一方的だったのだなという印象も僕は受ける。当時の報道を僕は知らない。生まれていないから(僕が生まれる直前のものだった)、何とも言いようがないのだけど、そこには精神病に関する無知があるように思う。それは現在でもあまり変わっていないかもしれない。もっと啓蒙していくことが必要ではないかと僕は思う。

 この無知はマスコミだけではない。一例が掲載されている。自分は不法入院させられていると一人の患者が裁判所に訴えた。裁判の結果、病院が敗訴してしまったのだが、この男性が好訴妄想であったことに裁判所側が判断できなかったという。

 本書の資料は昭和47年以前のものなので、古臭さは否めないのだけど、そこから考察されている事柄は現代にも通じるものがある。案外、現代的なテーマであったかもしれない。もっとも、現在でも病院の不祥事は摘発され、もはや精神病院だけに収まらなくなっているが、そういうことまであまり事細かに書くのはやめておこう。そろそろ読書評に戻ろう。

 本書は、何気なく古本屋で購入した本だ。他の本も一緒に買うと、古書店のおばちゃんが、「これ、サービスしとくわ」と、なんと無料で手に入れた本なのだけど、すごく良かった。何の期待もなく読んだというのもあるのだろうけど、思っていた以上に興味深く、内容に没頭してしまった。

 本書の唯我独断的読書評は、4つ星半である。

<テキスト>

『民間精神病院物語』(谷口憲郎 著)有明堂(昭47年)

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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