6月30日(火):悔やみきれない
昨夜は荒れた。荒れに荒れまくった。自棄酒を飲んで、とても穏やかにはいられなかった。
今日もまだ昨日の気分を引きずっている。あまりここではクライアントのことは言わないようにしているのだけれど、今日は少し言わせてもらおう。
その人は女性でした。一か月間が空いて、昨日、一月ぶりに来られることになっていた。彼女は職に就いて、収入を得ないとカウンセリングが続けられないと言う。それで就職して、給料が入るまで、一か月の中断が生じたのだ。僕はお金は後でもいいから、その間に一度でも来た方が良いとお伝えしたのだが、結局、お見えになられなかった。
一月ぶりの面接に彼女は来られなかった。すると、彼女から電話がかかってきて、実は離婚するという話になっていた。僕には訳が分からなかった。一体、何がこの一か月の間に彼女に生じていたのか。もし、よろしければと、僕は午後の空き時間に来ないかと誘いかけてみました。そうして、一応、彼女の一か月ぶりの面接は実現したわけなのだけれど。
彼女は家族に迷惑をかけたということで、自分が家を出ることに決めたそうだ。僕はその離婚は取り消せないかと尋ねたが、彼女はもう無理ですと答える。もし、取り消せるものなら何とかして取り消した方が良いと僕はしつこく言うのだけれど、彼女はもう離婚しかないと決めているようだ。彼女はバカだと僕は思った。
この問題を彼女は、僕にではなく、姉妹や友人に持ちかけたのだ。彼らは一様に、そこまで行ったのならもう離婚するしかないと、彼女の離婚を後押ししたのだ。輪にかけた大バカ揃いである。彼らの与えた助言は、無能な援助者に典型的なものである
彼女には離職歴がある。職場の人に迷惑をかけてしまったのだ。それはそれで仕方がないとしても、彼女は自分が辞めるしかないと思う、いつでもその選択肢しか持っていないのだ。
今回も同じ構図なのである。迷惑をかけたので、自分がいなくなることで責任を取りますっていうような構図なのだ。そして、これは自殺者の思考なのだ。
いつか彼女が「皆様に迷惑をおかけしました、死んでお詫びします」となったとしても不思議ではない。彼女の思考はそれに非常に近いのだ。僕は彼女に自殺傾向を見ているわけだ。だから絶対孤立させていはいけないのだ。誰も彼女のそこを見ていないようだ。彼らにすると、彼女は自殺なんて決してしないと確信しているのかもしれない。でも、僕にしてみれば、それはあまりにも楽観的すぎる。
こうして彼女は、新しく見つけた職も辞め、家族とも別れ、カウンセリングからも去ろうとしている。もっと正面切って自殺の問題を取り上げれば良かったと、後悔している。彼女の思考が自殺者のそれに近いと言っても何にもならないだろう。それよりも彼女の生活を支持していくことの方が先だと考えていた。その生活においてつながりと支援が得られている限り、思考が自殺的であっても、自殺は生じないだろうと考えていたのだ。それが間違いだった。一番に彼女の自殺傾向を指摘して、考察の対象にするべきだった。そうすれば破滅的な方向に進むのを彼女自身が思い止まっていたかもしれない。
悔やんでも悔やみきれない。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)