6月29日(金):ラーメンの話1
久しぶりにラーメンを食べた。若い頃はラーメンをよく食べたものだ。実家の近所に2,3軒ほど美味いラーメン屋があった。1軒は店を畳み、もう1軒は店主が世代交代してしまい、基本的な味は変わらないものの何か物足らなくなった。もう1軒は今でも健在だが、昔ほどボリュームがなくなった感じがする。若い頃はその辺りのラーメン屋にしょっちゅう出入りしていたものだ。
高槻にもたくさんのラーメン屋があるが、あの頃に食べたラーメンには届かない。失礼のないように言おう。どの店もそこそこのものは出すのである。でも、どうも当時感じていたような味がしないのである。美味しいラーメン屋が減ってきているのか、僕の味覚が変わったのか、若い頃の印象が根強いのか、定かではないのだけれど。
ラーメンが出てきたら、僕はまずネギとチャーシューをスープに浸す。そして、最初に出された時の具材のフォーメーションをあまり崩さないように食べる。
よく、即座にラーメンをかき混ぜる人を見かけるが、あれはいただけない。底の方の麺を上に持ってくるようにして掻き混ぜたりしている人をよく見かけるのだけれど、どうも僕はそれをしたくない。
次に、僕は麺を食する。この時、大口を開けて、ガバガバ食べないようにする。少しずつ箸で掴み、啜る。この時、「ズルズル」と音を立てるのも、僕の趣味に合わないのだ。「スルスル」という音の感じで食するのが良い。
そうして麺から入る。先ほど、フォーメーションを崩さないと述べたが、それはつまり、上に乗っていたチャーシューが常に僕の目の前にあるという状態である。このチャーシューをどのタイミングで食べるかということが、一番の楽しみである。「今、食べてやろうか、いやいや、もうちょっと待ってみよう」などと、自分を焦らしながら食べるとチャーシューの味が引き立つというものだ。
因みに、チャーシューに力を入れていると評判のラーメン屋があった。今でもある。確かにチャーシューにしっかり味が付いていて美味しい。ただ、それはチャーシュー単独で食するのに適している感じである。どうも、ラーメンのスープとケンカしてしまっているようで、いただけない。
ラーメンのチャーシューは、それ自体あまり味がしっかりしていない方が僕の好みだ。チャーシューの味がするけれど、欠けている部分をスープが上手く補ってくれているという、そういうバランスが僕の好みである。
さて、チャーシューを食べるタイミングであるが、これは経験と勘が頼りである。程よくスープが染みた感じの所で食するのが最も美味しい。ここで、常にチャーシューが目の前にあるという状況が物を言うのである。脂身の部分が白っぽくなると言うか、何となく色が変わったように見えたら、そこで食する。この見極めがなかなか難しい。
そして最後に麺に戻る。これが僕の流儀である。
それにしても、誰の役にも立たないし、本当にどうでもいいようなことを書いているな。明日はこの続きを書きます。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)