6月28日(水):無用の長物
今日、僕が家にいると、父がポツリと言っていたな。僕のような仕事もなくなるだろうと。それは僕も分かっている。父は「チャットGPT」が取って代わると言う。どこかでそういうことを耳にしたようだ。僕にはどうでもいいことだ。
チャットGPTにカウンセリングができるとしたら、それはチャットGPTが凄いのではなく、カウンセリングが堕落したのである。また、そのように考える人、つまりそれがカウンセリングの代用になると考える人は、浅はかな人だと僕は思っている。
何か質問をすればコンピューターは答えてくれる。でも、ただそれだけだ。その質問の妥当性であるとか、その質問が本当にその人の欲しているものを正しくとらえているかといった判断をコンピューターはしてくれないだろう。ましてや問いかけてくれることなんてないだろう。
要するに、GPTなんぞにメタファーは理解できないだろうと思う。
だから、GPTは小説を書けるといっても、それは物語を組み立てるというだけのものでしかない。「アッシャー家の崩壊」のような文章はとても書けないだろう。GPTは、カウンセラーにもなれず、文学者にもなれないのだ。
なんで三文の徳にもならないGPTなんてものを世間の人は担ぎ上げるのだろう。僕には理解不能だ。
ところで、「対話型AI」というときの「対話」とはどういうことを指しているのだろうか。僕は知らない。もし、言葉を打ち込んだら、言葉を返してくれるというのであれば、それは「対話」ではなく、ただの「やりとり」であり、「応酬」とでも呼べるものだ。本当の「対話」ではないはずである。これ、すなわち、我々がメタファーを理解できていないことの端的な証拠である。
チャットGPTのようなものは、ある日いきなり生まれるものではなく、我々の方でその下地を先に作っているのである。AIがメタファーを理解できないのではなく、我々の方が先にそれを理解できなくなっており、その我々に適合したものがもてはやされるのだ。
さらに話は飛躍するのだけれど、ロシアとウクライナの戦争は今でも続いている。この戦争をどうやって終わらせるのか、AIに予測した人がいるだろうか。僕に言わせると、そういう場面でAIを活用した方がいいんじゃないかと思う。小説を書けるとか、そんなことはどうでもいい。
この戦争はロシアとウクライナの二国間だけの争いではなくなっている。アメリカをはじめ、ヨーロッパの各国も武器や物資の援助という形で参戦しているのだ。この戦争は第三次世界大戦に発展するなどと都市伝説的に言われているけれど、根拠がまったくないわけではない。すでにその様相を帯びている。AIも、世界平和に役立たないのであれば、無用の長物でしかない。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)